みたび押角駅へ。五寸幅の柱に使い古しのレールを梁にして組まれたホーム。急ごしらえのように見える素材だけど、つくりは頑丈そう。おお、これが秘境駅かと感動する。時刻表には数字が6つしかない。右下には茂市駅からのお知らせシールが貼ってあった。
「内田様 旅ノート茂市駅で預かっています TEL0193-72-2215」
こういう細かな配慮は、ローカル線だからこそできるのだと心が温まる。
テツにとって命の次に大事な旅ノートを忘れていったのだろう。気の毒だ。でも待てよ、内田さんが再び訪れるとは限らない。むしろ再訪しない確率のほうが高そうだ。ということで、当ブログで告知します。押角駅を訪ねられた内田様、旅ノートは茂市駅で預かっているそうです。
KENJI
案の定、鉄子は心配されて案内されていた。ご主人から「君たちはずいぶん薄情だと思ったよ」と言われ恐縮するが、家のつくりに目を奪われた。デッキの前を渓流が流れ、その先には線路が見える。天井高4メートルはあろうリビングに、上まで採光窓が広がっている。一方に傾く屋根には芝生が敷かれていた。
どうやらこの場所が気に入って東京から引っ越し、5年かけてご主人の手で建てているらしく、これから壁の内装をするという。『月刊建築』とか『男の隠れ家』にでてきそうな建物だ。鉄子を拾っていただいた恩義を忘れ、別荘に招かれた気分に酔いしれる。
いつかこんな家を建ててみたいぞ。室根山麓にしようか、鶴が浦にしようか、妄想ばかりが膨らむ。
KENJI
岩泉へ向かう列車には僕らと同じようにカメラを携えた人が数人、部活の遠征らしき地元中学生が10人、水汲みにきたであろうおじさんが1人、地元の人が数人。1両編成の気動車がグオングオン音をあげて勾配をかけあがる。トンネルに入ると気圧差で落ち葉が列車を追いかけてくる。パーミルがすごいだの、土崎工場製だの、テツならではの会話が弾む。
岩泉駅から折り返して茂市駅へ戻る途中、押角駅で降りるか悩む。駅テツが車で迎えに来てくれるという。「KENJIどうする?」と鉄子に聞かれるが、僕は降りないことにした。鉄子は遠くをみつめ、2〜3秒悩んで降りると決めた。彼女はマチュピチュ遺跡へ一人で旅したり、琵琶湖を自転車で一周した強者だ。30分位ひとりでも大丈夫だろうと踏んで押角駅で見送る。車掌が「この人本当に降りるの?」みたいな表情をして、なかなか発車しない。押角駅へ観光で来たであろう家族が遠くから鉄子をのぞいていた。
15分後、見知らぬ番号から着信する。鉄子からだった。
「KENJI?あたしの携帯つながらないから、別の人の借りたの。」
有事でもあったのか。
「さっき一緒に降りたの、近所の人だったの。そこで待ってるんで。」
えええ?もう近所の人と仲良くなってんの?
僕と駅テツは後悔した。たぶん、女ひとりで無人駅にいるのを心配して案内してくださったのであろう。どちらかが降りていれば案じられることもなかっただろうに。
KENJI
僕は乗り物マニアだ、と言えるほどでもないが、乗り物が好きだ。新幹線では用もないのに端から端まで一往復する。中央線では先頭か最後尾に乗って運転席をのぞかないと気が済まない。車は運転しないくせに道に詳しい。タクシーの運転手に教えてもらった抜け道をあーだこーだ助手席から言う。飛行機ではじっとしていられないから通路側に座る。地図と時刻表のどちらかが必ず枕元にある。といっても、キハだのモハだのと車種にはこだわらない。エンジン音で機種が分かるわけでもない。分析するに僕の乗り物好きは「他人と空間を共有する心地よさ」「技術がもたらす便利さ」が楽しいのだ。
というわけで、行ってきました秘境駅。鉄道マニアにもいろいろあって、撮影好きの撮りテツ、録音する音テツなど種の起源のように分派している。僕は時刻表好きのダイヤテツに含まれるらしい。今回は駅舎が好きな駅テツと、自分では旅行好きと言うが飲み会で「好きな路線は?」と聞きまわるほどのマニア、通称鉄子の3人で向かう。
JR岩泉線。1日3往復しかない。詳しい情報はウィキに譲るとして、この路線に鉄道雑誌で東の横綱と称されるほどの駅がある。押角駅。国道340号線の押角峠からみる駅はこんな感じだ。谷間に見える小さなホーム。誰が使うのかと思うほど何もないが、それがまたいい。
僕ら3人は茂市駅へ車をとめて往復してきた。
KENJI
当店など、被災した内湾地区の国登録文化財は次の団体・企業のご支援で応急修理が進められています。世界各地からのご支援に深く感謝申し上げます。
文化財保護・芸術研究助成財団
|
---|
気仙沼風待ち通信 2013年2月号(PDF) |
最近のコメント