77 posts categorized "建物"

2008-06-06

古屋の造作

20080606_004_2

 狭くて、古くて、変形で、、、。無理難題続きの改築工事なのに、丁寧に施工して頂き感謝感謝の毎日です。

20080606_007_2

 2階のサッシ枠を階段から入れようとしましたが、無理無理。下の窓から押し上げて上の人が持ち上げ難問解決。まるで知恵の輪を解くように資材を運びいれています(笑)。

20080606_008_2

 仕事の合間、fumihideも猫の手以上の働き手。にわか大工さん見習いです。大工さんらは上棟式のお手伝いに行ったので、昨日今日と少しだけのん気しています。

seiko

2008-05-28

店米山武のこの頃

003

 羽アリが出てきたり、雨漏りしたり、、、やはり築80年近くにもなるとあちこちガタが来ているのですね。使いやすいように少しずつ直していましたが、屋台骨まで点検したのは初めてでしょう。まさか土台が使い物にならなくなっているとは思いませんでしたね。

010

 筋交いを入れて耐震補強もしていただきました。慢心の力で叩いてキッチリはめ込んでいました。

013

 建築に関して皆目判らないのでfumihideが要所要所を撮りました。わたしが失敬して文を書いています(笑)。

 当分この状態、、、客人にご迷惑の掛けっぱなし、仮店舗でも借りて開けばよかったかなぁと思っています。

 でも、工事の進捗状況を見にに来る輩(?)も結構居るしなぁ。

 ま、気長にやっていきましょうか。

seiko

2008-05-25

迷宮入り

P5240098

 蔵の2階を整理するために帰ってきました。

 住んでいる者でさえ2階に足を踏み入れるのは人生で一度あるかないかの伏魔殿。もちろん僕は初めて。覗いただけで滅入るほどホコリまみれです。一日で片付くだろうと高をくくっていましたが、なんのなんの。1割も片づかないうえ、3階もあることが判明。お宝が多少眠っているだろうとの期待は見事に裏切られ、でてくるのは大叔母のランドセルやら、祝儀袋やら、鼻緒の切れた下駄、剣道着、精米機の部品…。マドレーヌの銀紙をきれいにのばしていたのもありました。キヨエおっぴい(1900-1993)が生存中、菓子箱の紐や引出物のビニール風呂敷を大切にしまっていたのを思い出しました。当時「捨てるには申し訳ない」と思った逸品なのでしょう。そのひとつひとつが先祖の性格を物語っているように思いました。

 箱に重ねられた陶器は、68年前の新聞で包まれていました。いやあ、使わなすぎです。というか出すのが億劫でそのまま放置したんでしょうな。

 次から次へと変なものが出てきて、実家なのに迷宮に迷い込んだ気分を味わっています。

KENJI

2008-05-21

兵隊貯金箱とピース

080521_017

 改築前の荷物整理で少々気が滅入っていますが、思いがけない掘り出し物を見つけて嬉々としてしまいました。

 ホコリだらけの彼らは60余年間横たわっていたのですね(笑)。

 食糧統制のあった戦時中、陶器を売って糊口をしのいだ期間があったらしいのです。戦時下なので品質は決して良いとはいえませんが、30個ほど残っていました。写真の品物は「海軍、陸軍の兵隊さんの貯金箱」です。

「大きさ比べるのに何かな~い~?」

「ほら、こいづでいいべ。」

 な~るほど、平和ねぇ!

seiko

2008-05-09

大堀銀座今昔

P5040018

 先日帰ったとき、日野屋旅館がほとんど取り壊されていました。どうやら大手の居酒屋が進出するんだとか。南町界隈の夜がさらに賑やかになりそうです。

P5040029

 これは大正末期の大堀銀座からみた日野屋旅館。ライオンズクラブが40年前に発行した『目で見る気仙沼の歴史』の中にありました。当時、近代的なホテルがなかったでしょうからここが文人墨客の宿だったのでしょう。

 そんなこんな飲みながら話していたら、大堀銀座は「銀座」を冠する商店街の中で日本一短いと知りました。魚町一丁目から7番の交差点まで108歩、70メートル位でしょうか。たしかに短いです。

KENJI

河原田ライブカメラ

BBっといー東北