(1)「おばんでガス。」
(2)「あんだいの孫さん東北大さ入ったんだってね。」「ほんでガスぅ。」
(3)「ばばばばば。いガス。たーくさんだでば。」
昨年あたりから、芸人の間で流行している「あざーす」(ありがとうございます)「おざーす」(おはようございます)はアンタッチャブルの山崎が起源とされているが、もともとはビビる大木が起源である。両者とも出身が埼玉県春日部市なのが非常に気になっている。ひょっとして埼玉県南東部の方言なのかなと。
この短縮形、言い方は違えど気仙沼ではとうの昔から使われている。「ございます」は「がす」、もっと丁寧に「ござりす」と言う場合もある。もともと近世江戸語以降の言葉であり、動詞「ござる」と助詞「ます」がくっついて「ござります」と言っていたそうなので、「ござりす」はその原型をとどめているといえよう。
(1)はご覧の通り「お晩でございます」、標準語でいう「今晩は」である。「今晩は○○ですね」の○○以下を略すようになったものと言われているが、先人は○○に何と入れていたのだろうか。「今晩は雨ですね」「今晩は寒いですね」「今晩は月明かりの輝く夜ですね」みたいな季節感漂う挨拶を交わしていたのか、いや、そもそも電灯がないから滅多に出歩かなかったのではないか。ということは、「おはよう」「こんにちは」は昔からあっても、「こんばんは」は電気が普及する明治以降に広まったのかもしれない。もう少し考察が必要である。それはともかく、「おはよう」に「ございます」なら「こんばんは」に付くのも当然と考えたのであろう。特に、丁寧な言葉を好む中高年の女性が多用している。
(2)を直訳すれば「左様でございます」であるが、恥じらいと謙遜のニュアンスが含まれる。前文を見て欲しい。「お宅のお孫さん、東北大学へ入学したそうですね」に対して、本当は喜びを爆発させたいところだが留年、下手したら中退するかもしれないし、卒業できなかったら笑われるとの思いが脳裏をよぎり、丁寧語を交えて喜びを表す。後にはたぶん「おかげさんで」「私さ似ないで」「いづの間に勉強したんだべが」など、相手を立てる言葉が続くのであろう。逆に「東北大さ落ちたんだってね」と聞かれたら「ホンダっから」と共感を求める。
(3)は「あらららら、結構でございます。もう十分ですから」である。この前後の場面を想像できたら、あなたは立派な気仙沼人だ。
そう、おすそわけを頂いた場面である。目の前にはスーパー袋にぎっしり詰まった菜っ葉。しかし、これでもかとタッパーが積まれていく。もしくは魚屋でオマケが袋に入った瞬間である。嬉しいが、遠慮もしなければ、でもあわよくば欲しい、でもお返しもしなければ…みたいな感情が交錯して出てくるのが「いガス」であろう。
ここでは嬉しさを例に考えてみたが、丁寧語「ガス」の本質は喜怒哀楽の感情を半減させて伝えるためではないだろうか。