しつこくおねだりしていたら「スッたのハゲだの言うんでねェ」と一喝された。え?ハゲなんて言ってないぞ。そのうちハゲ頭が浮かんでごねるのがバカバカしくなったことがあった。たぶん「ごねる」「すねる」「すったもんだ」を含む微妙なニュアンスがある言い回しなのだろうが、ごねるとハゲの関連性など見当たるはずもなく、今考えても笑ってしまう。
ことばは相手に通じるから使うわけで、隣町・陸前高田出身の千昌夫が前妻シェパードとケンカして「むこうは英語で喋っから何言ってんのが分がんねぇ。俺もズーズー弁で「ぬっさこのおだずなよ」と言うんだ」という逸話を聞いて、ことばって通じなきゃ意味が無いんだなって思ったことがある。でも、ことばは通じなくても心は通じるとも思う。そう思うと、ことばと心ってつながっていることに気付く。
今はいろんなメディアがあってことばが瞬時に伝播するけど、昔は人から人へ伝わっていくしかなかった。そう考えると、全国から集まる船乗り、山間部から魚を買い求めに来た人、平野から米を売りに来た人、海ことば、山ことば、平野ことばが気仙沼で交差していたはず。もっと遡れば、奥州藤原氏が輸入した京ことば、アイヌ民族のアイヌ語が入り混じって今ある気仙沼弁になっているのかもしれない。
ここではことばの使われ方、用例をもとにして、そこに含まれるニュアンスを分解していきたいと思う。心とことばがつながっているのなら、そこに気仙沼人の心が見つけられるかもと期待して…。