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ヨメコド

ヨメコド

(1)「おらいの息子はっぱ勉強しねって、おがっつぁんヨメコドかだってんのっさ。」
(2)「おらいの息子さ勉強しろっていっつもヨメコドかだってんのっさ。」

 ヨメコドは「世迷言」である。辞書で引けば「とるに足らない不平や愚痴。訳のわからない繰り言。」と記してあり、気仙沼弁でも同じような意味で使われているが、激励も含まれているように思う。

(1)は「愚息は全然勉強しないと家内が愚痴をこぼしているのです」だ。高校の二者面談を想像すると良い。そして次に続く言葉は「せんせ、何とかしてけんねべが」だろう。どちらかといえば愚痴に近く、解決策の見えない嘆きを表現するのに使われる。

次に、(2)を丁寧に訳せば「拙者の豚児には勉強するよう、いつも叱咤しています」となろう。一種のへりくだりである。我が子を激励しているなんておこがましい言い方をしたらそれこそ親バカであり、恥じらいを持って表現するのに使われる。

 いずれも複数称であることがポイントである。一人称で使われることはない。訓示で「私はこれからヨメコドを話します」「私のヨメコドを聞いてください」などと言わない。なぜなら、ヨメコドかどうかは聞いた相手が判断するものだからだ。愚痴なのか、嘆きなのか、それとも叱咤なのか。そういった意味をひっくるめた言葉がヨメコドなのであろう。

 昔、魚町界隈には道端で説教する爺さんがいた。茶色いサングラスをかけていた位しか覚えていないが、当時60歳後半くらいだろうか。どこの誰かも知らない。祖母と大堀銀座を歩いていると「これ、わらすが道路側歩ぐんでねぇ。手つないで歩げ」と大人子供容赦なく説教していた。「歩ぎながら食うんでね。口ひん曲がっつぉ」と言われて、恐ろしくてカバンにしまいこんだこともあった。そんな説教爺さんを僕たちは「ヨメコドずんつぁん」と呼んでいた。でも、今考えるとあの説教はヨメコドでも叱咤激励に近かったのではないかと思う。

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