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オダヅ

オダヅ

(1)明日いぎなりテストだっつぁ、おだづな〜。
(2)あいづ、おだづもっこだおん。
(3)あんだおだってばりいっから、見らいん。わらすほでねぇぐなったべど。

 沖縄出身の友人から「ゆべしって何?」と質問された。どうやら沖縄にはゆべしがなく、山形出身者からゆべしの美味しさを聞いてよだれが出たらしい。ゆべしと聞いて真っ先にあべ静江を想像したという。その友人に以前気仙沼弁を解説し、牧歌的な音感が気に入って使っているが「それはバヤだね」「それはおだずなだね」と主語述語に則って組み立てるので、どうも頓珍漢な気仙沼弁に仕上がる。あまりにも面白いので、音階をイメージしてもらった。すると、気仙沼人では考えられない旋律でアウトプットされた。
 上記の楽譜がそうだ。賛美歌である。音感だけみればそう聞こえるのかもしれない。
 ところがオダヅは、賛美歌が歌えるような状況で使われることはまずありえない。

 例文はこうだ。

(1)は「明日、抜き打ちテストだって。マジかよ〜」である。男は「おだづな」と言うが女はほとんど言わない。女は「おだだないで〜」となる。「ふざけるな」の意味であるから、女性の「おだづな〜」はレディースの「ざけんじゃねぇ」と同じになってしまうので、少々控えめな言い方になる。
(2)は「あの人はひょうきんな人ですもの」だ。オダヅが擬人化され固有名詞になったものだ。ひょうきんな人と呼ばれるなら可愛いが、マイナスのイメージで語られる場合が多い。成人前ならおだづもっこでも許されるが、成人を過ぎてからのおだづもっこは「手に負えない」「責任感がない」「調子がいい」も含まれてくる。
(3)は「あなたがいつもふざけているから見てご覧なさい。子供がおバカさんになったじゃないの」である。現在進行形のオダヅだ。妻が夫に、祖母が息子に吐く愚痴を想像すると良いだろう。

 他の方言解説によれば「煽てる」の自動詞「煽つ」に濁音がついたとしているが、それだけではないと考え想像してみた。

A.二人の狩人が熊に遭遇し、怖気づいた一人が立ち上がってしまい相方が「おい、立つな」と言った。

B.水田の水利権を決める寄り合いで、民主的な運営を求めて立ち上がろうとした息子に親父が「おっ立つな」と言った。

C.時化の中、甲板で必死に手すりをつかんでいる乗組員に向かって漁労長が「おい、手綱〜」と叫んだ。

 確かに「煽つ」の意味が一番近いが、時を経て本来の意味が変化した。その本質は「煽つ」=「共同体で突出した行動」の意味が加わって現在使われているのではないかと思う。

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