(1)「ウー!おめばり食って。」
(2)「ウー。ほんだっから!」
(3)「これ、こごさ子ネッコいだ。ウー!」
(4)「おらいの息子、はっぱほでねくて。ウー。」
標準語で「ウ」は嫌悪感を表す感嘆句だが、同意の「ウン」も気仙沼では口を半開きにして「ウー」になるので聞き分けが必要だ。これらは前後の会話でどちらなのか判別でき、未熟、成熟に分かれ、成熟ウーはさらに完熟になる。
(1)は気仙沼で義務教育を受けた者なら想像がつくはずだ。給食のおかわり争いに敗れたのを想像してほしい。あるいは他人の方が量の多い時を想像してほしい。嫌悪より「うらやましい」「うらめしい」のニュアンスが含まれる。また教師が特定の生徒に温情をくわえると教室中がウーの嵐になった。例文を訳せば「お前ばかり食いやがって、こんちくしょう」であろうが、適当な訳が見つからない。
ただし、大人はあまり発しない。成長するにつれ、他人をうらやむ行為がはしたないと感じるからであろう。これは分別のつかない未成年者が使用する未熟なウーである。
(2)のウーは、主に大人が用いる成熟ウーである。意味は単に「強い同意」であるが、分別や人間関係をわきまえた大人のたしなみとして、共感をさらに増幅させる最適のフレーズだ。鼻濁音にするよりも、口を半開きにして発した方が声が出るからであろう。
(3)は成熟ウー一人芝居型である。ビデオカメラに向かって喋ると、なぜか「ハイ」と言ってしまいたくなるあの感覚。留守番電話が出始めの頃、恥ずかしくて伝言の合間に「ハイ」と言っていた。それはともかく例文(3)は先日、ヴァンガードで常連のおばさんが店先で子猫を見つけて発していた。誰に伝えているのか分からない。たぶん「ほんとすか?」「あら何と」と相槌が入るのを予測していたのであろう。しかし誰も返事しなかった。
(4)は成熟ウー返答不要型である。「うちの子はだらしがなくて、もう」だが、肯定されたら癪にさわる、かといって否定されても薄っぺらに聞こえる、ならば自分から同意しちゃえ、がこれである。さらに訳せば「うちの子はだらしないの。だけど、あなたから「そうね」と言えないでしょ。だから私が言うわ。ウー」といったところだ。ここまでくれば完熟である。
(3)も(4)も返答を予測するところに大きな特徴がある。人間関係が長びけばどこでもそうであろうが、相手が窮するのを察して自ら返答してしまう点が気仙沼的だと思う。