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2011-03-15

母から電話があった

3/15 19:24 母から電話がありました。災害用携帯から、ひとり5分ずつ。

  • 武山文英は災害対策本部詰め
  • 武山せい子は避難所で災害ボランティア
  • 武山栄子は菅原中子宅に避難
  • 武山陽子は菅原中子宅で栄子の付き添い

一通り家族の安否を話したあと、母は「世紀末だ」と。

「希望をもって。できることはこっちでするから」としか言えませんでした。

また、津波にもまれた築80年の店舗は残った模様。3年前に耐震工事をしたからでしょうか。向かいの岩手銀行が波の減衰を助けてくれたのでしょうか。他の家財も混じってメチャクチャだそうですが、残っただけでもありがたいです。

KENJI

コメント

# 武山文英は災害対策本部詰め
# 武山せい子は避難所で災害ボランティア

そうでしょうねえ、被害にあってもお互い助け合って生きていく見本のような方ですから。

そう言えば約3年前伺った時に、改築の話をされていました。
地形や他の建物で救われたのと、常日頃の武山家のおこないがあらわれたのでしょう。

まだまだこれからでしょうが、多くの方々と共に必ずや見事に復興されると信じています。


甥の義母(本吉町在住)の消息がまだ不明です。

電話で話せて、、、良かったねェ\(^o^)/

•武山栄子は菅原中子宅に避難
避難所では辛いだろうと思っていたので。。。
何よりの情報です♪

武山様
いつも、お世話になります。

お米を送っていただいている東京の西村です。

電話が不通でしたので、此方を拝見させていただいたところ、ご無事のようで、なによりです。

現状、節電程度ですが、出来る範囲で、何かご協力したく思います。

宜しくお願い致します。
西村

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