改築工事も着々と進んでおります。
最後の砦と申しましょうか、羽アリが巣食っている梁を燻蒸会社の方に見てもらいました。羽アリがぽろぽろ落ちだして、、、説明によると卵がかえると成虫は他に飛んでいって生活しなさい!と追い出されるそうです。
開けてびっくり、思わず鳥肌が立ってしまった画像。
アリは世界で二千種類もいて、これはヤマトシロアリ。雨漏りなどで湿っている部分に何年も掛けて住んでいたのでしょう、浸潤は比較的穏やかな方でないですか?みたいな話があったようなないような、、、何だか気持ち悪くてさっぱり覚えていませ~ん(笑)。梁の所々に5ミリ大の穴を開けて、薬を圧縮注入しています。圧をかけて入れば空洞があるんだとか。ほとんどこれで大丈夫!というところまで丁寧に処理していただきました。
あ~、今日もいろんなことがありすぎて、、、わたしの思考回路はパンクしそうだった~(笑)。
ヤマトシロアリさん、ごめんなさいね!わたしたちも生きるのに必死なのよ〜(笑)。
seiko
蔵掃除3回目。ある程度整理できた。僕がなぜ蔵掃除に夢中か。初めは興味本位だったが、手紙やら通い帳やらが出てきて、行間からご先祖さまの生き様を垣間見たからだ。
sakichi翁の弟、TおじさんとRおじさんは戦死した。どういうわけか戦地へ届いたTおじさん宛の手紙が包装紙にくるまれていた。形見にと戦友が送り届けてくれたのか、保存せよと本人が送ったのか今となっては分からない。妹たちからの手紙には「となりのふさちゃんのネコを描きました」とか、「一生懸命勉強いたします」と年齢に応じた精一杯の励ましが書かれてある。中でも戦地へ赴いていたsakichi翁からはこうあった。
「俺は充五分に覚悟ができた。」
これを見て涙が止まらなかった。20代そこそこのあんちゃんが死を覚悟する。しかも自分のじいさん。覚悟が最悪の事態に向けば、いまここに僕はいない。それに弟たちを鼓舞したsakichi翁にしてみれば、生き残ってしまった自分を激しく責めたことだろう。そういう類の話は僕たちにいっさい話さなかった。じいさんよ、なんで教えてくれなかったのかと思ったが、聞かなかった僕が悪い。とはいえ聞いても言わなかったと思う。自分のことに関してはことさら無口だったから。それがこういった形でsakichi翁の生き様に触れ、ご先祖さまの思いに触れ、本当にありがたい。
生きた証は死んでからでも十分間に合うと思った。
KENJI
当店など、被災した内湾地区の国登録文化財は次の団体・企業のご支援で応急修理が進められています。世界各地からのご支援に深く感謝申し上げます。
文化財保護・芸術研究助成財団
|
---|
気仙沼風待ち通信 2013年2月号(PDF) |
最近のコメント