4人の無事を確認した
4月7日(木)午後11時32分頃の地震で、25分後、祖母、父、母、妹の無事を確認した。気仙沼は震度5強を観測、停電中。父は災害対策本部へ向かった、とのこと。
KENJI
4月7日(木)午後11時32分頃の地震で、25分後、祖母、父、母、妹の無事を確認した。気仙沼は震度5強を観測、停電中。父は災害対策本部へ向かった、とのこと。
KENJI
叔父が遺体でみつかり、土葬した。叔母はまだ見つからない。親戚のおばさんは一昨日火葬。むせび泣きもここまでくると涙もでない。前を向いて歩いていくしかないんだもの。被災地で暮らす人達はどんな思いでいるんだろう。電話口では気丈に振る舞っているけれど、あのときの話になると涙声になる。従妹は津波と火災を目の当たりにした。「あたし死ぬのね、死ぬのね」と上司のズボンにすがりついたという。だれもがそういう体験をしたんだと思うと胸がつぶれそうになる。
家族はかろうじて生き残ったが、間一髪だった。地震発生時、妹は近所で髪を切っていた。路上で狼狽する人達をみて、ただごとではないと察知して支払いせずに帰宅した。母は台所でお支度をしていた。祖母は2階にいた。下に降りようとする祖母を父が制止した。母が店のサッシとカーテンを閉めたところで波が来た。母は最初、手でガラス戸をおさえていたという。すき間から水が漏れだして、ガラスが割れる前に2階へ駆け上がった。ものの数分で1階天井まで浸水した。店が流されていたら、どうなっていたか分からない。
復旧に向かった弟からは「兄貴は帰ってこなくていいがら。そっちで稼いで金送れ」と電話があった。その通りだと思う。家族は収入の大半を失った。第二の津波がもうすでに来ている。自然災害は僕にはどうしようもないけれど、経済災害を少しでも食い止められるように、一生懸命働こうと思う。
KENJI
母も携帯でブログを見たようで、誤りを指摘された。
KENJI
妹から津波到来時の状況を聞くことができた。
祖母の長靴は正樹さん宅の子ども用を拝借した。父は仙台銀行前で最後まで誘導していたので、近くの避難所では「武山さんが見えない」と話題になった。50mしか避難できなかったということは、父の指示なのか、それしか行けないほど切迫していたのか分からない。
かろうじて動くスクーターで、妹が避難所を巡って叔母の安否を探っている、とのこと。
KENJI
主に沿岸部上空から撮影されています。
東北地方太平洋沖地震による被災地の空中写真
http://saigai.gsi.go.jp/photo_h23taiheiyo-hr/photo/index.html
アジア航測
http://www.ajiko.co.jp/bousai/touhoku2011/touhoku.htm
KENJI
当店など、被災した内湾地区の国登録文化財は次の団体・企業のご支援で応急修理が進められています。世界各地からのご支援に深く感謝申し上げます。
文化財保護・芸術研究助成財団
|
---|
気仙沼風待ち通信 2013年2月号(PDF) |
最近のコメント