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2006-03-21

おそすぎエンターテインメント

 遅すぎではない。お葬式を気仙沼弁でいうと「おそすぎ」になる。「す」をシとスを一緒に、「ぎ」を鼻濁せずギとゲを同時に発するとよい。おすぎとピーコの「おすぎです」にソを足したらいいかもと試してみたら「おすげです」になってしまった。気仙沼弁の産湯につかって育っただけあって、3日間で勘を取り戻した。

 それはともかく、お葬式は喜怒哀楽のジェットコースターだった。初七日を終え、それぞれの日常に戻りつつある。もちろん悲しみにもくれたが、大往生だったので笑っても許される雰囲気があった。20年ぶりの親戚との再会を喜んだり、忌中払いで昔話に花を咲かせたり。僕は実家を離れているから、久しぶりにお会いする方ばかりで目が回ってしまった。

 いなかの葬儀は大変だと、あちこちで聞いていたので心配した。確かに大変だ。でも、ひも解けば突然ふって沸いた作業を3日間で完了しなければならないこと、受付だの行列だの留守番だのを頼まなくてはならないこと、弔問客に粗相があってはならないことが重圧に感じるのだろう。宝塚やディズニーランドならまだしも、商売をしているとはいえ一気に押し寄せる人波に慣れているはずもない。多少の粗相があってもいいと開き直って、故人へ、弔問に来てくださる方へ、喪主を支えてくださる方への感謝を表明するのが葬儀だ、そう考え直したら心地よい疲れとなって自分にかえってきた。

 芸能人の葬儀がワイドショーの一角を占める理由も何となくわかった。

 葬儀は精神世界のエンターテインメントだ。喜怒哀楽がそこにある。

KENJI

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コメント

皆様、さぞお疲れのことと思います。
kenjiさんの>喜怒哀楽のジェットコースター
よ~く理解できます。
告別式の前夜、馬場から≪みんな疲れているから寄らずに・・≫と言われていましたが、同行の【端午の節句】さんが少しだけ立ち寄る言うので、一緒にお邪魔してしまいました。
kunihide兄さんのご子息や、orii君の従兄弟の曽根さん・yu-ko夫人・ご子息・・・・・久しぶりな方や初めてお会いする方々。
残念なことに、慶事にはこれだけ多くの方々にお会いすることは出来ません。
弔事のみに許される出会いなのかもしれません、、、

今回の伯父上の葬儀で、数年前、父を火葬場へ送る時に武山米店の前で、seikoさんが車列に合掌してくださっていた姿を思い出しました。
父が思いのほか早かったから、伯父上には長生きしていただきたかったのに残念です。

合掌

本通夜のみ出席し、失礼しました。
斎場で佐吉様の遺影を拝見しましたが、とても好いお顔でした。
3月14日が命日と言うことは、康介の誕生日、誠二の命日と同じですね。縁を感じます。
斎場でのり子さんとお会いしていたのでしょうか?
小学校以来ですので、ご挨拶をしたかったのに残念です。
武山家の皆様にはさぞやお疲れだったことと思います。次は四十九日の法要が控えています。どう表現したらよいものか。疲れないようにがんばってください。

エッ~?? 
曽根さんに関して、私の思いっきり勘違いみい・・・後で誰かに聞いてみます、、、

きっと私の兄と勘違いされていますね。
裕子姉さんは、私の大事な義姉です。
私の名前が示すように、曽根家の三男です。
小学校時代はのり子さんと同級になったことがあります。
絵がとてもお上手だったことを覚えています。

>影山のり子さん
祖父も別れを惜しむ甥姪に囲まれて幸せだと思います。離れている僕が言うのも無責任ですが、これからも気仙沼へ遊びにいらっしゃってください。

>曽根三明さん
平日の忙しい中遠くからお越しいただきありがとうございました。ゆっくりお話したかったのですがご挨拶程度しかできず失礼しました。のり子さんとオリイさんが同級だと思っていたら、三明さんも同級だったのですね。当時の小学校、1学年何クラスあったんでしょう。10何クラスあったのではないでしょうか。父の時は14クラスあったそうです。物資の乏しい時代、生存競争が激しかったのでしょうか。父の同級生に今でも圧倒されてしまいます。

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