目的を運ぶ
来年3月廃止予定の唐桑航路に乗った。内湾から鶴が浦と大島の間、通称大島瀬戸を抜け、養殖いかだの合間をぬって、小さな港を経由する35分の航路。乗客は僕を含めて往路二人、復路一人。小鯖(こさば)港まで530円。これじゃ燃料代にもならない。最後尾のデッキから遠ざかる安波山を見て、昔は高校生やおんちゃんおばちゃんが乗っていたんだろうな~と想像した。そう思ったら何だか背中にざわめきを感じたが、振り向いても誰もいなくて涙が出た。
でもなに、この涙。ほとんど乗っていないので「ありがとう」でもなく、残念でもなく、従業員がかわいそうという気持ちでもない。それとも昨日の結婚式の余韻か。精神が不安定になってんのかな。なんてふけっているうちに、乗り物は人を運ぶだけでなく、目的も運んでいることに気づいた。この船で買い物へ出かけたおばちゃんはいい買い物ができただろうか。高校生は卒業したんだろうか。そりゃいい買い物も卒業もできただろうけどね。そういう人の様々な目的を乗せていたものがなくなる寂しさが涙になったのだと思う。
KENJI
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