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32 posts from 2007年12 月

2007-12-12

和の香り 洋の香り

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 「白菜漬けに入れるしその葉、干したのある?」と連絡したら、nakako婆から大きなビニール袋に入った青じぞと赤じそが届きました。ぷ~んと香ってあたりが清涼感に包まれます。「余ったら砕いてゆかりにでもすればいいさ」って暮れの忙しいのに、、、作業するのって、、、大変だよ~。(笑)

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 そして、mayamiさんから大木になった「月桂樹」を剪定したので使って、、、と届けてくれました。花バサミでチョキ、チョキ小分けにし束ねながら、マラソンで優勝した時の冠を作るのはどうするのかなぁ、自分で作って被ったら、、、いい香りがしてこんな感じかな?なんて頭にのっけてみせたら、藪をさまようヤマンバだと言われました。

 これから自然乾燥させて煮込み料理に大活躍です。いつもながら、ありがとうございます。独り占めは性に合わないので、おすそ分けしま~す。

seiko

2007-12-11

元気の源

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 あちこちにアンテナを張り巡らして、、、今夕南町マンボ通りでイルミネーションの点灯式があるのを知りました。寒いとネタ探しも大変なのでこれは行くしかない!(笑)

 元気のない街と嘆く前に、頑張ってる人から元気を貰うのって良いかも、、、な~んて思って出掛けました。少し早かったのか、ケーブルテレビのカメラマンとお寿司屋さんの社長さんしかいませんでした。

「あれ~!何で分がったの?」

「これこれしかじか、、、。」

「新聞に載せなかったけど集まれば良いなぁ。そうだ、タイミングよくクラッカー鳴らして下さいよ。」と手渡されたのを友人に託し、ナイスショットを求めてウロウロ。(笑)

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「あれっ?タケヤマさん、なにしてんのっさ?」と、点灯式を知らずに繰り出した知ってる顔が数人。「点灯式やるんだって、クラッカー鳴らしてから飲みに行ってよ~。」そんな誘いに快く付き合ってくれて、ありがとうございました。

 まずは鏡割りをして振舞い酒です。

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 くじ引きで当たった人にはお寿司一折ですので、皆さんリキ入れて引いてましたよ。わたしも挑戦しましたが、×マーク!せめて、ハズレ!って書いて欲しかったな。

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 熱々のふろふき大根やふかひれスープ、おしるこ、焼鳥など界隈のお店が提供したおいしいものが盛りだくさんでした。

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 電球の数は確か1万3000個くらいという、年々趣向を変えながら増やしているのでしょうね。ちゃんこ鍋屋さんの店先の趣きいいですね。

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 地図も頂いて、、、さぁ!明晩はどこへ繰り出そうかな?

seiko

2007-12-10

わたし、変身します。

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 私が変身してもねぶたにしかなりませんので、、、。

 ちょっと見、雑木にしか見えませんが、見事これをカゴに変身させる人にあげようと思います。

 話のきっかけは、お店にさりげなく置いた蔓で使った手作り風のカゴからでした。アケビの蔓でリースを作ることはありますが、聞けば山葡萄、つるうめもどき、そして驚きなのが、へくそかづらも使うといいます。ご主人も「オレも一緒に山に行ってっさぁ。」と奥さんに付き合わされた苦労話を楽しそうに話します。となると、世話焼きバァさんの血が騒ぐ。

「なんだぃ、言ってくれれば山のようにあるよ~。邪魔者扱いしてfumihideが切るけど、また伸びてるのがあっから持って来っから~。」

 と、引き受けては見たものの、、、あぁ~~大変だった!

 乾燥させて、、、作ったら、、、ネットで売りましょうか?fumihideさん。

seiko

2007-12-09

これは何?

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 困ったときの冷凍庫頼み、、、そうだ、degさんが宮崎の漁師さんからいただい珍味があったっけ。冷凍庫の奥へ押し込まれつつあったのを引っ張り出して、煮付けにしてみました。こないだは塩コショウをふってスペアリブみたく焼いたので、今回は趣向を変えて煮付けに。柔らかい部分もあり、しこしこした軟骨のような部分もあり、食べ応えがありました。骨のつき具合といい、肉みたいですね。

 さて、これが魚のどの部位か?わたしはわかりません。

 知ってる方がいたら教えて欲しいです。

seiko

2007-12-08

技術革新に支えられた町(2)

 こないだ漁撈技術の革新が気仙沼に富をもたらしたと書いたけれど、どちらかと言えばすでにある技術を先んじて活用すること、進取の精神が富をもたらしたと言った方が正しいかもしれない。あちこち乱読して、想像も加えてあてずっぽうに書いているので戯れ言だと思って読んでくだされ。

 さてさて、カツオ漁が飛躍的に向上したのにあわせて、東廻り航路の波にのったのが第二の革新だと思う。東廻り航路は主に東北で生産された米を効率よく江戸へ送るために開発され、1671年に確立した。それはカツオの新漁法を学んだ年代と重なる。漁獲量が10倍になったとはいえ、売れなければ無意味だから、大消費地の江戸へ供給して富がさらに倍加したのではないかと考えた。東廻り航路について詳しくはこちらを参照していただくとして、当時の気仙沼港には漁船と菱垣廻船がひしめいていたのだろう。いち早く紀州漁法をとりいれた鈴木家のみならず、地域全体で先行者利得を得て、カツオを獲れば売れ、鰹節を作ればじゃんじゃん運ばれる、そんな好循環が発展の礎になったのだと思う。

 江戸へ運ぶには二つの航路があった。一つは房総半島をぐるりとまわって東京湾に入る方法。二つ目は銚子で川舟に積み替え、利根川を遡って水運を使う方法。銚子では米以外の一般商荷物を扱う廻船問屋を「気仙問屋」と呼んだというから、気仙沼周辺の産品がそれだけ銚子に集まったことがうかがえる。それにしてもなぜ銚子なのか考えてみた。

冷蔵技術がない時代、生で運ぶなんてまれ
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塩漬けか乾物を運んだ
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積み替えの作業工程が増えたとしても、乾物は米俵ほど重くない
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海運と比べて遭難リスクの低い水運を使った
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だから銚子が経由地となった

 そしてさらに、

平地の少ないリアス式海岸での稲作は不適
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絹や葉たばこなどの軽くて高価、運びやすい産品を生産した
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海産物に加え、農産物も混載した
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取引量がますます増えた

 風が吹けば桶屋が儲かる式で、史料に基づかない仮説だから当てにならない。これが正しいかどうかさらに調べなければならないが、航路の確立が富をもたらしたのは間違いない。そして、この東廻り航路で得た富はやがて、生産技術の革新につながっていく。

KENJI

参考:東京海洋大学生産工学部 江戸時代の航路と街の成り立ち

河原田ライブカメラ

BBっといー東北