迷宮入り
蔵の2階を整理するために帰ってきました。
住んでいる者でさえ2階に足を踏み入れるのは人生で一度あるかないかの伏魔殿。もちろん僕は初めて。覗いただけで滅入るほどホコリまみれです。一日で片付くだろうと高をくくっていましたが、なんのなんの。1割も片づかないうえ、3階もあることが判明。お宝が多少眠っているだろうとの期待は見事に裏切られ、でてくるのは大叔母のランドセルやら、祝儀袋やら、鼻緒の切れた下駄、剣道着、精米機の部品…。マドレーヌの銀紙をきれいにのばしていたのもありました。キヨエおっぴい(1900-1993)が生存中、菓子箱の紐や引出物のビニール風呂敷を大切にしまっていたのを思い出しました。当時「捨てるには申し訳ない」と思った逸品なのでしょう。そのひとつひとつが先祖の性格を物語っているように思いました。
箱に重ねられた陶器は、68年前の新聞で包まれていました。いやあ、使わなすぎです。というか出すのが億劫でそのまま放置したんでしょうな。
次から次へと変なものが出てきて、実家なのに迷宮に迷い込んだ気分を味わっています。
KENJI
次から次と引っ張り出してくるので、請求書を作らねばならないのに、、、ん、もう~。
プラスチックの大きな漬物樽に漂白剤をいれて水をはって器を入れてうるかして(?)から一個一個丁寧に洗う作業のお終いは、、、いつ?。
そんな器と埃との山を見て、親戚いわく「骨董???でなくて、コツドウだな。」(笑)
毎日、汗流しBeerでファイト!ファイト!
投稿情報: seiko | 2008-05-25 06:58
>seikoさん
民俗資料発掘にご協力いただきありがとうございました。ご先祖様の想いが詰まっていて勉強になりました。また整理しに行きますのでよろしくお願いします。
投稿情報: KENJI | 2008-05-25 22:40
言ってくださればお手伝いに行ったのにィ(^.^)/~~~
文化財発掘チームの一員として(笑)
投稿情報: 着物作家 | 2008-05-25 23:15
>着物作家さん
文化財じゃないっすよー!
外にあればゴミ屋敷と指弾され、蔵にあればお宝と評される…あれは「内なるゴミ屋敷」です(笑)。結局、必要なものは手にとどく範囲にあると学びました。うはは。
投稿情報: KENJI | 2008-05-26 00:49
自分の残した荷物を整理してくれるかもしれない人を想像しながら、
おちゃめな置き土産を混在させたくなりました。
経済力はないので、「くすり」と笑える遺品作りを。
たとえ“ゴミ”でも(笑)、片づけながら自分に思いを巡らせて
くれる人が整理してくれますように。。。
投稿情報: 通りすがり | 2008-05-26 08:57
>通りすがりさん
考えてみれば亡くなればすべて遺品ですね。いやあ、僕の周りもゴミだらけです(笑)。
曾祖父は組合や遺族会の資料、曾祖母は銀紙やひも、戦死した大叔父が戦地からよこした手紙もありました。僕はその大叔父に会ったことがありません。筆跡と行間から人柄が伝わってきて、涙が出そうになりました。それに遺品で戻ってきた姉妹からの手紙もあって、作業中断。大叔母たちの性格が垣間見えて「あの人らしいな~」と思うものばかりでした。
投稿情報: KENJI | 2008-05-26 12:48
はじめまして。つい1年前私も宮町の家で経験しました。母が花嫁道具として持参してきた武山家紋入りの汁椀・八ミリフィルム・父の日記(それも私が生まれた日のもの)etc.我が家には何故かヤクルトのボトルがまさしく山のように・・・(何に使うの?)や椿の実(これは確か兄弟3人で廊下の掃除に使っていた記憶がありますが。)親子とは言え、おっぴさんと同じように紙類は丁寧に伸ばしていたる所の引き出しから発見!!我が家は毎日作業して3ヶ月かかりました。気長にお宝探しして下さい。
投稿情報: コスケ | 2008-05-29 10:47
>コスケさん
こちらこそはじめまして。いつもご覧いただきありがとうございます。うはは、ヤクルトのボトルとは!何に使おうとしたんですかね。毎日整理しても三ヶ月かかるのよく判ります。地層みたく奧に行けば行くほど古い資料が出てきて、大正時代の当座台帳が出てきました。大正、昭和の大火でも残ったんですね。それだけはなくさないという、商いへの執念を感じました。
投稿情報: KENJI | 2008-05-29 12:00