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2008-07-06

生きた証

175

 蔵掃除3回目。ある程度整理できた。僕がなぜ蔵掃除に夢中か。初めは興味本位だったが、手紙やら通い帳やらが出てきて、行間からご先祖さまの生き様を垣間見たからだ。

 sakichi翁の弟、TおじさんとRおじさんは戦死した。どういうわけか戦地へ届いたTおじさん宛の手紙が包装紙にくるまれていた。形見にと戦友が送り届けてくれたのか、保存せよと本人が送ったのか今となっては分からない。妹たちからの手紙には「となりのふさちゃんのネコを描きました」とか、「一生懸命勉強いたします」と年齢に応じた精一杯の励ましが書かれてある。中でも戦地へ赴いていたsakichi翁からはこうあった。

「俺は充五分に覚悟ができた。」

 これを見て涙が止まらなかった。20代そこそこのあんちゃんが死を覚悟する。しかも自分のじいさん。覚悟が最悪の事態に向けば、いまここに僕はいない。それに弟たちを鼓舞したsakichi翁にしてみれば、生き残ってしまった自分を激しく責めたことだろう。そういう類の話は僕たちにいっさい話さなかった。じいさんよ、なんで教えてくれなかったのかと思ったが、聞かなかった僕が悪い。とはいえ聞いても言わなかったと思う。自分のことに関してはことさら無口だったから。それがこういった形でsakichi翁の生き様に触れ、ご先祖さまの思いに触れ、本当にありがたい。

 生きた証は死んでからでも十分間に合うと思った。

KENJI

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コメント

KENJIさんの笑顔を見てると
「うんと、めんこくてめんこくて」
伝える事を忘れたのでしょうか?

>ハマーさん
それはしょっちゅう言われてました(笑)
てなことはありませんでしたが、小学校にあがる前だったと思います。祖父に「クソジジィ!」と言ったら父にこっぴどく叱られ、それを見た祖父が父を叱っていました。いま思えば、分別のつかない子供をいきなり叱ってはならぬ、ということなんでしょう。一時期4世代が同居していました。そういう中で育てられて人生の機微を学んだように思います。

sakichi翁の「生き残ってしまった」という自分を責める気持ち・・・なんだか心が痛みます。今の僕らの世代よりもいかに「大人」であるかが垣間見れますね。
僕の爺さんも、満州事変で始まり終戦はトラック諸島で迎えたのですが、戦争のことなどは妻(婆さん)や息子達にすらほとんど喋らなかったそうです。「なーにぃ、あんな、負げいくさ、語ったってしかだねーべ」と・・・。

>リアスの汽笛さん
社会のしくみが違うとはいえ、夢だ自由だと放り出されて漂流しているよりよっぽど大人だと思います(笑)。

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