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2005-07-20

気仙沼湾

kesennuma_bay  安波山から見た気仙沼湾です。頂上まで登れるほど足腰が強くないので写真を見て描きました。大島の亀山がちょっと大きかったかもしれません。

 昔の内湾は大きい建物がなかったのですごく広く見えましたが、今はせまく感じます。でも、時々浜見山へ行って大島を眺めると昔のイメージがよみがえってきて、すごくなつかしくなります。

EIKO

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コメント

気仙沼弁すったのはげだの、たいへん楽しく拝見いたしました。その中の「おだづ」ですが、「おだぢまっこ」と言う地方もあることから、「立ち回る」「子供」、、、、「立ち回る」は「歩き回る、うろうろする、徘徊する」などの意味から「なんと、あっちさ行ったりこっちさ来たり、おぢづぎねえごど!このおだぢままっこ!おだづなよ!」と言う説はいかがでしょうか。

正解に近いと思います。当方はオドケタ馬の子と解釈していました。

>クロウニャさん
 はじめまして。「すったのはげだの」をご覧いただきありがとうございました。なるほど、「おだぢまっこ」と言う地域もあるんですね。そこでふと思い出したのは、津軽の寒立馬。それと一戸から九戸、千厩など馬ゆかりの地名。チャグチャグ馬っこ。北東北は馬とともに暮らしてきた歴史がありますから、馬っ子から変化したと考えるのが正しいかもしれません。
 ひょっとしたら「御立馬」なんて言葉があるのかと思って検索したら、瀬戸市小田妻町の由来は「御立馬」でした。徳川吉宗が将軍についた時、御三家筆頭格の尾張藩が将軍になれなかったので、紀伊藩が参勤交代で尾張を通過する時、兵馬を集めて大演習を行って脅したそうです。この演習で藩主の居た場所を「御立馬」(おたつま)と呼んだのが小田妻となったそうです。
 ちょっと違う匂いがします。
 やはりクロウニャさんおっしゃるとおり、馬っ子説が有力でしょう。「おだぢまっこ」と言う地域がどのへんか知りませんが、もし北東北ならば南下するうちに馬っ子が省略されて「おだち」だけが残って、地域特有の訛りが加味されて変化したと考えると納得いきます。

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