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当店など、被災した内湾地区の国登録文化財は次の団体・企業のご支援で応急修理が進められています。世界各地からのご支援に深く感謝申し上げます。
文化財保護・芸術研究助成財団
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気仙沼風待ち通信 2013年2月号(PDF) |
気仙沼弁すったのはげだの、たいへん楽しく拝見いたしました。その中の「おだづ」ですが、「おだぢまっこ」と言う地方もあることから、「立ち回る」「子供」、、、、「立ち回る」は「歩き回る、うろうろする、徘徊する」などの意味から「なんと、あっちさ行ったりこっちさ来たり、おぢづぎねえごど!このおだぢままっこ!おだづなよ!」と言う説はいかがでしょうか。
投稿情報: クロウニャ | 2005-08-26 12:56
正解に近いと思います。当方はオドケタ馬の子と解釈していました。
投稿情報: kuni | 2005-08-26 20:26
>クロウニャさん
はじめまして。「すったのはげだの」をご覧いただきありがとうございました。なるほど、「おだぢまっこ」と言う地域もあるんですね。そこでふと思い出したのは、津軽の寒立馬。それと一戸から九戸、千厩など馬ゆかりの地名。チャグチャグ馬っこ。北東北は馬とともに暮らしてきた歴史がありますから、馬っ子から変化したと考えるのが正しいかもしれません。
ひょっとしたら「御立馬」なんて言葉があるのかと思って検索したら、瀬戸市小田妻町の由来は「御立馬」でした。徳川吉宗が将軍についた時、御三家筆頭格の尾張藩が将軍になれなかったので、紀伊藩が参勤交代で尾張を通過する時、兵馬を集めて大演習を行って脅したそうです。この演習で藩主の居た場所を「御立馬」(おたつま)と呼んだのが小田妻となったそうです。
ちょっと違う匂いがします。
やはりクロウニャさんおっしゃるとおり、馬っ子説が有力でしょう。「おだぢまっこ」と言う地域がどのへんか知りませんが、もし北東北ならば南下するうちに馬っ子が省略されて「おだち」だけが残って、地域特有の訛りが加味されて変化したと考えると納得いきます。
投稿情報: KENJI | 2005-08-26 22:15