« 昼のミルク | メイン | 「まゆみ」です。 »
この記事のトラックバックURL:
https://www.typepad.com/services/trackback/6a0128759cdc29970c0128759cdffb970c
Listed below are links to weblogs that reference しんこ美術館:
この記事へのコメントは終了しました。
当店など、被災した内湾地区の国登録文化財は次の団体・企業のご支援で応急修理が進められています。世界各地からのご支援に深く感謝申し上げます。
文化財保護・芸術研究助成財団
|
---|
気仙沼風待ち通信 2013年2月号(PDF) |
何か不思議な写真ですね。
実物の切符売り場でしょうか。
売り子さんもアートなのですか?
”東急田園都市線の青葉台駅を降りたら、あたり一面奥原ワールドに染まっていました”
昔、たまプラーザに住んでいたので青葉台も知っていますが、青葉台の古い駅前が一面、ポスターで埋まっていた、という情景ですか?
投稿情報: 曽根 三明 | 2005-12-15 14:03
>曽根三明さん
売り子もアートになっています。
青葉台駅前には現在、駅と隣接して青葉台東急スクエアというショッピング街があります。そこの広告全般を奥原が手がけていて、タペストリーや屋外看板、ポスターなど全て奥原作なのです。確か3年位前から手がけて、季節毎に入れ替えていると思います。
アートとしても楽しめる広告で、私鉄イメージ調査で常に1・2位を争う田園都市線のイメージにぴったり合っています。ぜひ立ち寄ってみてください。
投稿情報: KENJI | 2005-12-15 15:37
そうですか。
確か青葉台駅を出た右前方に東急ストアがあったと思います。
しかし、健ちゃんの行動範囲の広さには感心させられます。
昔、たまプラーザと渋谷の間を通勤していたので田園都市線や東横線には懐かしさを感じます。
ちなみに私がいたころのたまプラーザ駅前にはまだ東急デパートは無くて、広い空き地になっており、お盆の時期にはやぐらを組んで盆踊りをしていました。
その頃は、新玉川線も無く、自由ヶ丘経由で渋谷へ通っていました。
投稿情報: 曽根 三明 | 2005-12-16 06:17
>曽根三明さん
渋谷-二子玉川間ができたのは1977年ですから相当前ですね。当時とは比べものにならないほど開発が進んで高級住宅街の様相を呈しています。僕はそんなに行動範囲は広くなくて、仕事以外で外へ出ることは少ないんです。でも、道草ばかりしていますが。
投稿情報: KENJI | 2005-12-16 10:12