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20 posts from 2006年3 月

2006-03-31

手紙と春風とパンジー

Haru_0011 seiちゃんから可愛い絵が届きました。eikoばあちゃんを励まそうと描いたそうです。お仏壇の脇に貼って、みんなで眺めてなごんでいます。eikoばあちゃんも日を追うごとに元気を取り戻しつつあり、そのうち描くようになると思いますので、もう暫く待っていてくださいね。

 今回は急だと言えば急かもしれないし、87歳だと思えば、、、と考えれば考えるほど堂々巡りです。悲しいことが続くと押しつぶされそうになりますが、いろんな人の支えがあって元気を取り戻しながらやっていこうと思います。

Haru_008 そんなことを考えながら外を見たら、強風に飛ばされまいと一生懸命歩く人を見かけました。店先の冬咲きパンジーも風に負けじと花びらをひらひらさせて踏ん張っています。いくら冬咲きといっても、葉っぱがちりちりになっていたので諦めかけていました。でも、うまい具合に復活しました。うれしかったね。ほんと。

seiko

2006-03-30

大川を歩く その3

Kakodanchi

この辺を歩くのは20年ぶりだった。当時、3ヶ所くらいしかなかった工場が加工団地として整備され、今では10ヶ所近くになって新築工事もしている。工場の壁には社名が刻まれ、カネカだのマルヤマカだのダイウロコだのと、家号を冠したところが多い。

 そもそも、なぜ家号か。もとは焼印を押して所有を示すためだったのが、市場での誤取引を防ぐためのものに発展していったと想像した。屋号はなんちゃら別家とか、某新屋と親族の区別を示すものとして使われ、家号は商取引上のトレードマークに使われたのだろう。山一だの山種だの、家号を社名にした証券会社がつい最近まであったのを考えると、市場と密接に関係するとみた。

Iejirusi_1 こないだ魚市場へ行ったら、表示板にも使われていた。一覧性がある。家号は瞬時の判断が求められるとき威力を発揮するのだと思った。それにしても外字をつくるのに苦労したことだろう。JISキーで表現したらどうなるか試してみた。△△△=ミツウロコ、大△=ダイウロコ、○入=マルイリ、○^カ=マルヤマカ、口・=カクボシ、¬大=カネダイ、¬メ一=カネシメイチ。やはり一つにまとめた方が判りやすい。

KENJI

2006-03-29

大川を歩く その2

Unmo  河口の底砂が西日に反射していた。すわ砂金かと浮き足立つ。むかしこの辺りは砂金の宝庫で、中尊寺金色堂に使われたり、朝廷へ献上品として使われたりしたという。

 ヨーロッパではじめて日本を紹介したマルコポーロの「東方見聞録」では、ジパングの宮殿は黄金で覆われていると紹介された。

 「ジパングは(中国大陸から)東方にある島で1500海里沖合いにある。この島はとても大きい。人々は色白で礼儀正しい。ここには金があるが多くはない。支配者の宮殿は非常に大きく、教会が鉛で覆われているように金で覆われている。部屋の四方は指2本分ほどの金で覆われている。すべての窓や壁、あらゆる小物から広間に至るまで金で覆われているのだ。その価値は言いようがない。」とある。

 建物名の記述こそないが、この時期から見て中尊寺金色堂ではないかと考えられている。ということは、ここで産出した金もジパングのイメージに一役買っていたことになる。

 金世界を見た僕はすでに億万長者気分で、向こう岸の鶴が浦に別荘をたてる自分を想像していた。それにしてもこんなにあるのになぜ採らないのか、もったいないと思いながら上流へ向かう。帰宅してすぐ「砂金の採り方」を調べたら、僕が見たのは金雲母だった。比重の重い金は沈んでしまう。よく考えりゃそうだ。砂の上に浮き出ているわけがない。にわか成金どころか、脳内成金は3時間でついえた。

KENJI

2006-03-28

大川を歩く その1

Kt250221  土曜日の午後、雲ひとつない快晴だったので大川を散歩する。撮った写真すべて枯葉ばかりで、まごまごしていると桜の季節になってしまう。というわけでこちらを先に。

 25年前、たしか小学校3年生だったと思う。夏休みの自由研究で河原田のK子ちゃんが「大川の研究」と題した観察記録を発表したのを覚えている。下流は砂地で、上流に行けば行くほど石が大きくなる、そんな内容を思い出しながら大川の河口からてくてく歩く。波の音が聞こえる。1時間前が満潮だったようで、砂は湿っていた。なのに風の力で波は上流に向いている。海水と淡水が混ざりあう汽水域がどこまで続いているのだろう。手ですくってすする勇気がなかったので目で追いかけたら、1キロ上流にあるあけぼの橋あたりまで波が立っていた。昔、さらに1キロ上流の気仙沼大橋のあたりでも逆流を見た。大川の場合、汽水域は河口から2キロ先までなのだろう。海と森は意外と近い。

KENJI

2006-03-27

ジャスコ気仙沼店

Jusco_kesennnuma  ジャスコ気仙沼店ができたのは僕が小6の頃だ。小学生だけで学区域外に出かけてはならない、という規則を破って同級生のW田君と行ったきり、ジャスコへ行ったことがない。家族での買い物といえば気仙沼スーパー本郷店かハマダだった。ベビーシートつきのカートに妹を乗せ、上下のカゴに卵や納豆が積まれていく。今思えば家族の幸せの瞬間だったかもしれない。中学になると部活で減り、高校になると親と一緒に買い物なんて恥ずかしくてできなかった。家族で楽しさを共有できる買い物はせいぜい小学校高学年くらいまでなのだろう。

 土曜の昼下がり、ジャスコを覗いてみた。チラシを岩手県南にも折り込んでいるようで、2割強が岩手ナンバーの車だった。家族連れが多い。タクシー乗り場には6台待機していた。目線より低い陳列にして空間を確保している。回遊性も高い。客動線はカートを4台並列しても余裕がありそうだ。投げ込み陳列は意外と少ない。アパレルは黒系が多かった。ワインはシャンベルタン3000円前後が売れ筋のようだ。書籍はベストセラー中心。これまでのスーパーマーケットよりも何枚も上で、百貨店に近い陳列をほどこしていると感じた。

 カートに子供をのせ、缶詰を選んでいる家族の姿がなんだかほほえましい。ウォルマートのように「エブリデー・ロープライス」だけでなく、娯楽の要素も兼ね備えているように見えた。

KENJI

河原田ライブカメラ

BBっといー東北