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2006-03-29

大川を歩く その2

Unmo  河口の底砂が西日に反射していた。すわ砂金かと浮き足立つ。むかしこの辺りは砂金の宝庫で、中尊寺金色堂に使われたり、朝廷へ献上品として使われたりしたという。

 ヨーロッパではじめて日本を紹介したマルコポーロの「東方見聞録」では、ジパングの宮殿は黄金で覆われていると紹介された。

 「ジパングは(中国大陸から)東方にある島で1500海里沖合いにある。この島はとても大きい。人々は色白で礼儀正しい。ここには金があるが多くはない。支配者の宮殿は非常に大きく、教会が鉛で覆われているように金で覆われている。部屋の四方は指2本分ほどの金で覆われている。すべての窓や壁、あらゆる小物から広間に至るまで金で覆われているのだ。その価値は言いようがない。」とある。

 建物名の記述こそないが、この時期から見て中尊寺金色堂ではないかと考えられている。ということは、ここで産出した金もジパングのイメージに一役買っていたことになる。

 金世界を見た僕はすでに億万長者気分で、向こう岸の鶴が浦に別荘をたてる自分を想像していた。それにしてもこんなにあるのになぜ採らないのか、もったいないと思いながら上流へ向かう。帰宅してすぐ「砂金の採り方」を調べたら、僕が見たのは金雲母だった。比重の重い金は沈んでしまう。よく考えりゃそうだ。砂の上に浮き出ているわけがない。にわか成金どころか、脳内成金は3時間でついえた。

KENJI

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コメント

kenjiさんがんばって書いていますねェ~
でも、御苑が近いのだから桜でも見に行ってみてはいかが、、
昼間は大混雑だけれど、朝一番なら、のどかな時間がゆったり過せますよ^^
そこで、HPの≪お江戸の春≫を改訂し≪日本の春≫をUPしたので見にいらしてね。
まだ桜を見られない地方の方のために、梅と桜がいっぱいのページを作ってみました。

アラッ! そそっかしい!!
また本題をコメントし忘れていました。
中尊寺の金色堂・・・私の恩師が修復なさったのですよ!
大学では漆芸を専攻していましたから・・・
人間国宝でいらした、超大御所の故松田権六先生の監修の元で、やはりその後人間国宝なられた故田口善国先生が修復にたずさわれたと聞いております。
解体した時に、創建当時の職人の忘れ物がいっぱいあったとのことでした。
のみやその他の道具類があったそうです。
その残された道具を見ることで、様々なことが判ったとの詳しい話をお教えいただいたことが昨日のことのように思い出されてきました。

金色堂の金は、その昔の大谷金山から運ばれたと聞いていますが、
目の前の大川からも運ばれていたとしたら夢があるなぁ・・・と一瞬思ってしまいました^^;
でも、その昔はこの地帯が大きな「本吉郡」だったわけで
(確か本吉郡気仙沼町でしたよね。魚町のあたりは「釜ノ前」でしたっけ?あ、でも金色堂建立とは時代が全然違いますね^^;)
魚も豊富で金も取れていたなんて、豊かな財産に恵まれた場所、という夢がありますねー。

♯kenjiさん、やっぱり携帯から書き込み出来ないみたいです。私の機種のせいかな?

kenji様
  がんばって下さいね。蔭ながら応援しています。 中尊寺の金については諸説あるようですが何ヶ所 からも取っていたようです。岩手では今、世界遺産 登録に向けて官民あげて取り組んでいます。岩手 だけでなく東北の誇れる」財産だと思います。

>影山のり子さん
がんばって書いている…見破られました。僕はさらりと書ける性格ではないようで、どうしても堅い文章になってしまうんです。金色堂の修復話、興味津々です。当時の道具ってどんなものだったんですかね。それだけでも1年ぐらい没頭できそうです。

>kazueさん
日本最古の産金地は涌谷町の黄金山神社だといわれています。
http://www.koganeyama.jp/goannai/index.html
市史によれば気仙沼でも古くから八瀬や松岩で産金が行われ、金取、金成沢など金にまつわる地名があるのもその名残のようです。岩手の金氏は金脈を発見したので苗字を許されたという伝説もありますし、北上山地南部は金と縁が深いんでしょうね。釜の前(現魚町)は江戸時代まで海でした。古町まで海が迫っていて、新町、三日町、八日町、魚町、南町の順に埋め立てられていったそうです。その辺も面白くて書くときりがありません。またおいおいにでも。
タイプパッドブログの携帯はβ版で、まだ書き込みができないのかもしれません。

>myoujinさん
平泉は世界遺産に相当するものだと僕も思います。このあたりは県境で分断されていますが、民俗学や歴史学の視点で見ると同じ文化圏ではないでしょうか。こういった研究の蓄積は盛岡と仙台で行われ、どっちからみても辺境になるわけで、研究書の片隅におまけ程度に記述している場合が多いと感じています。でも、両方をまとめると民俗やら風習やら独自の文化が浮かび上がってきそうで気になっています。「気仙学」といったところでしょうか。

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