あどけない話
空を見上げながら、高村光太郎の「あどけない話」を思い出した。
智恵子は東京に空が無いという
ほんとの空が見たいという
私は驚いて空を見る
桜若葉の間に在るのは
切っても切れない
むかしなじみのきれいな空だ
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ
智恵子は遠くを見ながら言う
阿多多羅山の山の上に
毎日出ている青い空が
智恵子のほんとの空だという
あどけない空の話である
たしか会津への修学旅行前の授業で習った。断片しか覚えていないが、智恵子は精神病を患っていた、智恵子の故郷は福島である、バスの中で安達太良山はあそこと説明を受けた記憶がある。立体的な旅行にするための配慮だろうが、僕は「東京に空が無い」イメージばかり残った。排煙にまみれた灰色の空。実感を伴なわない空虚さ。それが東京、というイメージで。以来20年、東京への印象のひとつにあったように思う。
でも違うんじゃないの。真夏の空もだったけど、晩秋の空もさわやかだ。
空の有る無しは場所じゃなく、見る人の心にあると齢三十三にして気づく。遅いって。
KENJI
>空の有る無しは場所じゃなく、見る人の心にある
確かに・・・
でも、10年以上前、ブームになる前の雲南省≪大理≫の夜空はとても星が近かった!
好んで何度も行きましたが、今ではライトアップされて台無し・・・
亡くなったジジ様を最後に連れて行った世界遺産、玉龍雪山の麓≪麗江≫に始めて行ったときには、さすがに3000メートルの標高ゆえ、おもいっきり星が近かった!!!
手に取れるように・・・
もしかしたら智恵子さんも、昔の光が少なかった日本で同じように感じたのかも^^
投稿情報: 着物作家 | 2006-11-26 01:06
>着物作家さん
そういえば最近夜空眺めていないですね~
気仙沼の夜空も結構きれいですよ。
去年12月、田中から自宅まで千鳥足で帰ったとき、気仙沼大橋の下では遡上するサケがポチャッと音を立たせて、頭上では放射冷却状の空にゆらゆらと星が。あー僕は生きているんだと感極まって泣きました。暗いから分からないだろうと鼻水たらして歩いていたら、あちこちの民家から人が飛び出してきました。見慣れない顔の人が、しかも目を真っ赤に腫らしたおんちゃんが歩いているのですから、怪訝な目で見ていたことでしょう。
そしたら「ただいまの地震のよる津波はありません」との防災無線が。
地震とも知らずオイオイ泣いていた自分が恥ずかしくなりました。
投稿情報: KENJI | 2006-11-26 18:11