気仙沼街道を歩く:薄衣〜千厩(2)
江戸時代、薄衣は河の港だった。米やたばこなど東山一帯の産品が集まり、北上川から石巻を経て江戸へ輸送していた。特に東山産の煙草は品質が良くて、偽物が出回るほどのブランドだったという。頻繁に物資を送って、今の静けさとは正反対の賑やかな港町だったのだろう。ちょんまげの水夫が俵を担いで筏に乗せていたのだろうか。川の流れにまかせて下ることはできるけど、上るときはどうしていたんだろう。売り物の材木を筏にして、石巻でばらしていたのだろうか。動力のない時代にどうしていたのかとても気になった。
それと川岸は時に大水害に遭うこともある。最近だと1940年代のカザリン、アイオン台風による氾濫が有名だけど、治水技術が今ほど進化していない江戸時代なら、水害はもっと頻繁だったに違いない。堤防を築き、蔵は丘に建てて物資と生活を守ったのが垣間見える。藩の米蔵「御蔵」は、現在の役場のあたりにあったという。当時のものかどうか分からないけれど、古そうな蔵があったので登って覗いてみた。漆喰の壁でできたそれは、長い間放置されているようでぼろぼろだった。ほかの家の蔵も母屋より高くしてあったり、山の斜面にあったり。先人の努力と工夫を感じる。
KENJI
ほんとに自分で千厩まで歩いたの?(爆)
投稿情報: 着物作家 | 2007-05-05 22:47
ほんとに歩きましたよ!
国道284号線沿いですが、薄衣から千厩まで8kmありません。昔の気仙沼街道は今とちがって三島峠と呼ばれる山道を越えたそうです。この三島峠と気仙沼の前木が交通の難所だったとか。
投稿情報: KENJI | 2007-05-06 03:21