ものよりも原体験
ニューヨークへ着いてまず、もうすぐ5歳になるウィリーさんの娘へのおみやげを物色するためにおもちゃ屋へ寄った。2年前、ささいなおもちゃをプレゼントしたらえらい喜びようで、肌身離さず持っていた。それが嬉しくて今回もまたトイザらスへ。wiiやPSP、レゴブロックにバービー人形、子供じゃなくても楽しい。これまで何回も行ったけれど、なぜか泣き叫んだり、石のように固まる子供がいない。駄々をこねないのだろうか。今の子供はそうなのだろうか。これはアメリカだけなのだろうか。疑問が次々に浮かぶ。僕が幼かった頃、丸光デパートでは親子の意地の張り合いの末、しゃっくりが止まらないほど泣き叫ぶ子供をよく見かけたけれど。
そんなこんな考えているうちに、自分がもらったクリスマスプレゼントを思い出した。年長時にジャイアンツの自転車、小1の時は地球儀だった。どちらも望んでいないものだ。自転車には和泉サイクルのシールが、地球儀はたしか緑屋のシールが貼られていた。どちらも近所にあった。しかもキヨエおっぴいにお礼を言えと強要された。なぜこんなおっぱいの垂れたしわくちゃ婆さんがサンタなのかよく判らなかったし、言われたおっぴいも何のことだかよく判っていない。サンタは夢の世界でなく、現実にあることを悟らされてしまった。いま思うとプレゼントに喜ばない子供なんだもの、与える立場になって自分がいかに可愛げのない子供だったか少し後悔している。
ウィリーさんの娘は思惑通り「はっ!!」と引きつけを起こしたような声をだした。アルファベット入りのビーズ細工。ほんとささいなものなのだけれど。アルファベットは読めるけどスペルが書けない彼女は、ピンク色のビーズだけ集めてネックレスを作っていた。
ものを与えた喜びではなく、そういう原体験を与えることができて嬉しいのだと気づいた。
KENJI
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