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2007-10-17

ものよりも原体験

Toysrus_timessquare

 ニューヨークへ着いてまず、もうすぐ5歳になるウィリーさんの娘へのおみやげを物色するためにおもちゃ屋へ寄った。2年前、ささいなおもちゃをプレゼントしたらえらい喜びようで、肌身離さず持っていた。それが嬉しくて今回もまたトイザらスへ。wiiやPSP、レゴブロックにバービー人形、子供じゃなくても楽しい。これまで何回も行ったけれど、なぜか泣き叫んだり、石のように固まる子供がいない。駄々をこねないのだろうか。今の子供はそうなのだろうか。これはアメリカだけなのだろうか。疑問が次々に浮かぶ。僕が幼かった頃、丸光デパートでは親子の意地の張り合いの末、しゃっくりが止まらないほど泣き叫ぶ子供をよく見かけたけれど。

 そんなこんな考えているうちに、自分がもらったクリスマスプレゼントを思い出した。年長時にジャイアンツの自転車、小1の時は地球儀だった。どちらも望んでいないものだ。自転車には和泉サイクルのシールが、地球儀はたしか緑屋のシールが貼られていた。どちらも近所にあった。しかもキヨエおっぴいにお礼を言えと強要された。なぜこんなおっぱいの垂れたしわくちゃ婆さんがサンタなのかよく判らなかったし、言われたおっぴいも何のことだかよく判っていない。サンタは夢の世界でなく、現実にあることを悟らされてしまった。いま思うとプレゼントに喜ばない子供なんだもの、与える立場になって自分がいかに可愛げのない子供だったか少し後悔している。

 ウィリーさんの娘は思惑通り「はっ!!」と引きつけを起こしたような声をだした。アルファベット入りのビーズ細工。ほんとささいなものなのだけれど。アルファベットは読めるけどスペルが書けない彼女は、ピンク色のビーズだけ集めてネックレスを作っていた。

 ものを与えた喜びではなく、そういう原体験を与えることができて嬉しいのだと気づいた。

KENJI

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コメント

>なぜか泣き叫んだり、石のように固まる子供がいない。

前に聞いたことがあるのですが、アメリカでは、子供のしつけに厳しく、そのような事があると、その場を後にして、二度とおもちゃ屋さんに行かないという事を徹底しているとか。

犬のしつけも(私は甘やかして全然出来てないけど)アメリカは厳しくて、それが出来てるから、レストランに犬を連れていってもおとなしくしているとか。

といっても、アメリカでは貧富の差が甚だしいので、貧困層は逆に手がつけられないほど悪いらしい、という話も。

その辺(子供のしつけ)の実際は、どうなんですかね?

>オヤマさん
へぇー、やっぱりそうなんですか。道理で駄々っ子がいないわけですね。子供をどうやってしつけているのか、今度きいてみます。

今日はありがとうございした。
トイザでいい物頂きホントありがとございました。

来週のパーティーで使いたいと思います。
そしたらUPしるからみてねん。

>fumiさん
こちらこそ、空港で出迎えてくれて、しかも勤務中のご主人まで一緒に、そしてさらにお土産までいただいてありがとうございました。あれ、うまいね。一人で食べつくしそうでやばいです。また太ってしまう。今度ゆっくりお話しましょう。

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