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2007-12-25

安波山の由来

 先日、アンバ大杉研究の第一人者である大島建彦先生にお会いして詳しく伺うことができた。かいつまむとアンバ大杉信仰とは、霞ヶ浦のそばにある阿波大杉神社が発祥で、ここの天狗が航行安全、疫病退散の神として信じられていた。それが水運の発達とともに伝播し、利根川と太平洋岸に広がっていったという。当時、伝染病は悪魔や悪霊がもたらすものと考えられ、天狗が飛来すれば疫病にかからないと信じ、アンバ囃子となって村づたいに広がる。しかし、あまりにも流行りすぎて暴徒と化すことを恐れた幕府はアンバ囃子を禁止した。だいぶ端折ったが、これがアンバ大杉信仰。

 大島先生によれば、そのアンバ大杉信仰は3つの信仰圏にわかれるという。第一は今日でも阿波大杉本宮との関係が保たれている地域、第二はそれぞれの実情に応じて独自の祭りを営んでいる地域、第三は阿波本来の信仰と関わりなく独自の神霊として受け止められている地域がある。気仙沼のアンバさまは第三の信仰圏にあたり、宮古や石巻、相馬など東北の太平洋岸のアンバ様もそうらしい。

 さてさて、気仙沼のアンバさまであるが、安波山に大杉神社が建立されたのは元文4(1739)年、廻船問屋の卯左衛門(西風釜)、長左衛門(横町)、市右衛門(八日町)の3名が伊勢参りの帰り、阿波大杉神社へ寄ってわけてもらったのがそもそもの始まりだ。卯左衛門さんの子孫は中井お茶やさん、長左衛門さんはアサヤさん。卯左衛門さんの子孫の伊勢勘さんだけは気仙沼を離れてしまったという。要するに廻船問屋のだんな衆によって大杉神社が建てられ、安波山と呼ばれるようになったわけで、歴史は比較的新しい。

 幕府がアンバ囃子を禁止したのは享保12(1727)年。さらに元文3(1738)年には伊達藩も領内での禁制をしいた。にもかかわらず気仙沼に大杉神社が建立されたのはなぜだろう。アンバ囃子はせず、航海安全のためだけに限定するとでも約束したのだろうか。それとも藩の監視が甘かったのだろうか。カツオ漁で成した財力で役人を丸めこんだのだろうか。隠れキリシタンみたいに隠密に建立したのだろうか。そこに気仙沼人の精神性があるような気がする。

KENJI 

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コメント

KENJIさん

すごいですね!
このお話、今度また聞かせてください。
そういう研究をされている方がいるというのもすごいが、その方に会って話を聞いたというのもすごいです!

>オヤマさん
ありがとうございます。こんど安波山話でも。
川島秀一さんの『漁撈伝承』にアンバ様の参考資料として大島先生の本が載っていたんです。さっそく購入して奥付を見たら、なんとご自宅が信濃町!近所なので手紙書いて押しかけてきました。後から知ったのですが、大島先生は日本民俗学会の重鎮(笑)。なのに懇切丁寧に教えていただきました。川島秀一さんのことベタ褒めで、「彼はすごい」を連発していました。

年末休みなのでじっくりと読みました。
なるほど、常陸の国の”安婆嶋”地区にある大杉神社の巨大な杉が”あんばさま”と呼ばれ信仰されていたことが気仙沼にも伝わったと言うことですね。
気仙沼の”あんばさん”は”安波山”と同意義と思っていましたが、勉強になりました。

>曽根三明さま
信仰は伝言ゲームみたいに変容するんだと思いました。気仙沼の安波さま大杉神社は江戸中期ですが、それ以前も関東との結びつきの強い地域だったのではないかと想像しています。というのは8世紀、大和朝廷の版図が気仙沼あたりまで広がって、関東に入植者募集の木札が建てられたそうです。それに中世には房総の葛西氏が治めた時もありましたから、関東と東北を結ぶ海の道は古代から存在していたのではないかと思います。山の民、海の民、その辺にも興味が沸いて、蟻地獄状態です。

歴史に嵌まると新たな真実がそれを契機として新たな謎を呼び、面的にも時系列でも事実の綾取りが難しくなりますね。仮に気仙沼の”安波山”が安波山に大杉神社が建立されたことを契機として”アンバさま”が親しみをこめて山の名称としての”安波山”へ変化したとしたら、大杉神社が建立される以前は、安波山は全く別の名前で呼ばれていたことになります。この辺は川島君が詳しいのかな。(回答不要)

>曽根三明さま
回答不要とのことですが、ムズムズしまして(笑)
やはり川島さんが詳しいようです。鹿折村の古い文書によると「一山弐ッ」と書かれ、「鍋こふし山」と「夫婦石山」となっているそうです。鍋こふし山が現在の鍋越山、夫婦石山が安波山ではないかとのこと。

安波山は津波が来ても安全な高い山と思っていました。
3月11日サンドイッチデイの2日前にサンドイッチマンが避難して、別名サンドイッチマン山とも、古い名前の由来の歴史がありそう。

安波山は、気仙沼小学校の校歌の歌詞で歌っていましたが、こんな歴史ロマンが有ったなんて驚いています。
安波山の恩恵を受けて、故郷の復興を祈り願ってます。

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