新説:気仙沼の由来
先日、千葉県野田市にある関宿城博物館へ行ってきた。ここ一帯は利根川と江戸川の分岐にあたり、江戸から明治期にかけて利根川水運の要衝であったという。以前書いた通り、銚子で積み替えられた荷物はここを通過していたわけで、安波さま信仰もこの利根川一帯に広がっている。そういった利根川流域の文化や習俗を展示している博物館で、水運の歴史を一通り見学できた。
利根川に沿った千葉県の地図を見ながら、ふと気づいた。この辺は沼が多いと。印旛沼だの手賀沼だの昔は湿地帯だったことが伺える。それに気仙沼が大和朝廷の版図に組み込まれた頃、関東には入植者募集の立札が立てられたと何かで読んだ。さらに中世は房総の葛西氏が気仙沼を支配したことを見ても、実は関東との人的交流は1300年前からあって、気仙沼の先祖の大半は関東から入植してきたのかもしれない。そう考えたら、ひょっとして気仙沼の「沼」ってこの辺の人が名付けたのではないかとひらめいた。
これまでの説だと、アイヌ語で終端の港を意味する「ケセモイ」か、岩磯所の集落を意味する「ケセのマ」が訛化したと言われている。長万部や占冠と同様、アイヌ人から聞き取ったものを漢字に当てはめたのだろう。それが最初は計仙麻大島神社が示す通り「計仙麻」だったのがいつの間にか「沼」になった。中世は古町まで海だったから、その奥深い入り江を沼に見立てた張本人が房総から来た祖先だった、てな仮説を立ててみた。
計仙麻が気仙沼と呼ばれるようになったのはいつからなんだろう。
KENJI
こんな話題だと餌をまかれた魚のように喰らいつく私が不思議です。
「沼」は、地下から湧いて出た水が溜まってできた水たまりのことなので、その昔、本当に気仙沼には沼があったのかも知れません。
気仙沼のように「沼」が付く地名を他に探すと、たとえば「沼津」があります。
「沼津」の由来は、その昔、沼津地方が、沼と津(地形を活かした船着場のこと)が多かったことにより「沼津」となったとあります。
失われた“沼”。何となくロマンがありませんか。
投稿情報: 曽根 三明 | 2008-01-20 15:20
いいですねー!ロマンありますね!
じつは新城沖や田中が太古は沼だったとか、
大川河口の干潟が沼に見えたとか。
発掘調査したら意外と沼の形跡が見つかるかもしれません。
あー、また調べたくなってきました(笑)
投稿情報: KENJI | 2008-01-20 20:21