またかよ!とお思いの方、そうです、まだまだあるんです。今度は気仙沼から西へ向かいます。前のペースで書いたら何ヶ月もかかりそうなので、駆け足で。
というわけで、上の写真は大林橋から山沿いに沿った切通の道。左手10メートル下には大川が流れ、右手は岩がむき出しに。がけ崩れでもあったら一瞬で大災害になりそうな道に見えたけど、いつまで使っていたのだろう。橋梁技術が発達していない時代、ここを通りぬけていたと想像したけど、標識やらガードレールやら、舗装跡が残っていたので最近まで使っていたのかも。大八車でえっちらおっちら運んでいたんですかね。どなたかご存知の方、教えていただけませんか。
で、八瀬大橋の先に出て旧284号線へ。キジの鳴き声が響いていたり、大船渡線が汽笛を鳴らしてトンネルを抜けていたり。心電図みたいなカーブが延々と続いて、遠足では出発間もないのにバス酔い者が続出して、ビニール袋が大活躍だったのを思い出したり。そんなこんな思い出していくうちに、むかし三陸新報でみた新月渓谷の写真が浮かんで探してみることにした。その記事は確か新月ダム反対の寄稿で「大川の水は渓流で空気がまざるからおいしい」といった内容だったと思う。その写真は厳美渓のような風景で、気仙沼にこういう場所あるのかと思った。そんな記憶と水の音を頼りに、枝分かれする道を片っ端から下る。
もぐり橋を越えて、林道へのぼる手前に獣道があった。なにかにおう。滝の音もする。藪をかきわけて水辺に着いた。おおお、ここですぞ!あの写真は!興奮してずんずん進むが、あと10メートルのところで飛び石が切れた。degが中学生の頃、同級生と飛び込んでいた戸羽平の滝壺ってここだろうか。あー、20年早く知っていれば僕も飛び込んでいたのに。
284号線を通るたび気になっていた大木。標識が立っているけどバスからは読めなくて、念願かなってしげしげと眺める。「割山のケヤキ」と呼ばれる樹齢240年のケヤキだった。それにしても拡幅で残すほどいわくつきなのだろうか。切ったら祟りが!みたいな伝説があるのかもと想像を膨らませたら、枝がおどろおどろしく見えてきた。でも実際に寄ってみるとそんなこともない。幹をさわると、西日に照らされたせいなのかあたたかかった。通り過ぎる車に「おかえり」と語る気がしたのは、たぶん僕がそう言って欲しいとの願望だろう。この枝の下を何台の車が通り抜けていったのか、そう思ったら自然のETCに見えてきた。
でも帰って調べてみるとこんな記事が。
「…伐採予定だったケヤキの大木を保存。…上下線を分離して三日月型の緑地帯の中に確保。…同土木部では「住民の要望もあり、残せるものは残したい」と話している。 (岩手日日新聞、2006年3月3日)
とのこと。「いわくつき」は考えすぎで、道標の保存運動に端を発していた。記事によれば割山のケヤキ近くには悲しい民話の舞台となった「色の御前橋」もあるらしい。また行かなくちゃ。
KENJI
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気仙沼風待ち通信 2013年2月号(PDF) |
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