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2006-08-11

夏の思い出

Oekaki  奥原しんこ画伯の夏休みお絵かき教室。東京から新進気鋭のクリエイター仲間を引き連れて帰省して、小学生に絵の楽しさを伝えている。6年目になるこの教室は、瞬く間に満員になってしまうほどの人気だという。僕は小学7年生のカメラ係として参加した。

 テーマは「夏休みの思い出」。みなとまつりの翌日だけに、最初は花火だの金魚すくいだのが並び、そのうち昆虫やらプールやらそれぞれの思い出を描き始めていた。

 その中に30分経っても画用紙が白いままの女の子がいた。奥原画伯はすかさず声をかける。

 「夏休みどこかに行った?」

 「全然どこにも行ってない。」

 「……。」

 そこからが画伯の見せどころだ。おうちでどんな遊びしてるの?こんなのはどう?じゃあこれは?と畳み掛けるように聞き出し、エンピツが走り出した。縁側にスイカが一切れ。スイカにはカブトムシがへばりつき、5匹のアリが縁側を行進している絵に仕上がった。向かいの席では太鼓の競演をこまごまと描いている。その隣ではテキスタイル調のカブトムシが無造作に並んでいる。先生たちは「気仙沼の子供、みんないい絵かくね~」と絶賛していた。僕もそう思った。

 個性の尺度って、伸ばす縮めるではなく、認めるかどうかだと実感する。

KENJI

フジテレビ系列「ポンキッキ」(毎週金曜 15:00~15:28)
”今月の「どうよう」”
森昌子さんが歌う『夏の思い出』。8月放送分の背景は、奥原しんこ画伯が描いています。

2006-08-09

おしょすがんねで

Hanabi  実は僕もdabadabaxさんの花火写真に感動して試みた。三脚がないので、電柱にカメラを押し付けてみたがうまく撮れない。構図を変えて撮っているうち、目前の二人がいい雰囲気になってきた。よしこれでいこうとフラッシュをばんばん焚いたら、後ろの気配に気づかれて「あんだ何やってんの」と振り向かれる。同級生だったから良かったものの、一歩間違えば探偵か市原悦子だ。

 それはともかく、祭りは参加してなんぼ。踊りや太鼓に参加するのもよし、警備だって関わりあい方のひとつだろうし、それらが一つにまとまっている感覚が気分を高揚させるのかもしれない。僕は餅焼きだけだったが、気仙沼とつながった感を十分満喫できた。これが「はまらいんや踊り」だったら、もっとそんな気分になるんだろうなあ。

 んで、来年はおしょすがんねではまってみっぺが。

KENJI

2006-08-08

商売敵

Shiyakusho  夏に餅が売れるのか。居酒屋せいこさんよ戦略ミスではござらぬかと内心思いつつ店先で焼いていた。どうやら餅は正月以来ご無沙汰だろうから、珍しがられるのではないかとの読みがあったようだ。焦げた醤油の香りに誘われて、それなりに売れるが飛ぶようにではない。噂に聞いた「つくりたてられないほど」の忙しさもなく、のんびりと焼く。でも少しは売れてほしいので、パレードにあわせて醤油を焦がして、扇風機で香りを送っていた。

 ところが隊列に強敵がいた。ガチャピン色のTシャツを着た市職員が踊る脇で、餅が振る舞われていたのだ。しかも無料で。惜しみなく袋から取り出し、観客も喜んで受け取っている。ひぃぃ、これじゃ商売あがったりだ。このままじゃ店先で餅を焼く奇特なおんちゃんで終わってしまうではないか。意表をつく強敵に、開始1時間半にしてあきらめムードが漂う。こうなったらペースダウンさせて余るのを覚悟した。

 それから1時間後、出張販売先から催促の電話がきた。どうしたことかパレードが過ぎたら売れ行きが止まらないらしい。焼いても焼いても催促がやってくる。とはいえホットプレートを増やしたらブレーカーが落ちてしまう。ひぃぃ、今度は作りたてられないじゃないか。で結局勢いは止まらず、予定より早く完売してしまった。

 状況を考えるに、たぶん振る舞い餅が潜在需要を刺激したのだと思う。

 商売敵、実は味方だったのかも。

KENJI

2006-06-18

喜びの共有

Oiranofune fumihideの受章と就任のお祝いがあり、こないだの懇親会みたいになるのはある程度予想できた。が、まさか僕がマイクを持たされるとは。といってもしっちゃかめっちゃか宴会だ。席次はあってないようなもの。自分のグラスがどれか分からなくなる。もう誰も聞いちゃいないだろうと腹をくくって、fumihideの同級生に混じって「おいらの船は300トン」を歌わせてもらう。

 fumihideは昭和22年生まれ。マンモス私立でもないのに中学の同年生だけで700人もいる。どの家庭もひもじかった時代、家へ帰れば兄弟がわんさか、学校へ行けば黒山が教室を埋めつくした。それだけに生存競争も激しかったと聞く。そんな激戦を通り抜けた強者だからなのか、仲間がたまたまそうなのかは分からないが、みなキャラが濃い。親分肌もいればいじられキャラもいるし、実務派も猪突猛進型もいる。自己主張が激しいように見えて最後はひとつにまとまる。そして圧力団体と化す。

 今回、その同年生の皆さんが幹事になって催してくださった。「ケンジな、おまいの父ちゃんがこうなって俺もうれしいんだ。」と口々におっしゃる。何とありがたいことだろう。栄誉そのものよりも、こうやって喜びを共有できる人がいることに価値があると思った。

KENJI

2006-06-03

帰ってきた息子さん

Model_1  昨日の午後、地元高校の写真部が合同で撮影会を開いていた。テーマは「働く人」。被写体を求めて魚町南町界隈を歩いていた。

 FUMIHIDEとSEIKOははじめ、被写体になれるような代物ではないと遠慮していたので、代わりに僕が申し出た。「でも、この人ここで働いていないから」とseikoがさえぎる。先生は「それでもいいんです、あ、帰ってきた息子さんのテーマで撮りましょうか」と食い下がる。先生も教え子の被写体をつかまえようと必死だ。その熱意に根負けして、店の前で即席撮影会が始まった。

 何キロ担ぐのか聞かれ、見栄を張って「昔は60キロ担いだ」と答えた。いかにも帰省したら手伝っています風の態度を示し、米袋3つ担いだら歓声が沸く。複数のレンズが僕に向けられる。右から左からシャッターの音が聞こえる。どのレンズを見たらいいのか分からず視点が定まらない。普段どおりにと言われても緊張してしまう。今考えると引きつっていたと思う。だってニセ「働く人」だもの。帰ってきた息子さんじゃなく、帰ってこない息子さんだし。

 そんな働く人を演じたおかげで、背中が筋肉痛になってしまった。

KENJI

 

河原田ライブカメラ

BBっといー東北