アイヌ語で霧を「ウララ」と呼ぶんだそうで勝手に命名しました、けせもいうらら。直線で20kmあるかどうかの距離なのに濃霧もあれば快晴もあり、春霞の特徴でしょうが10分おきに変わる景色に釘付けになってしまいました。海のモヤが陸に流れ込んで、と思ったらスーッと引いての繰り返し。
望遠鏡で見た気仙沼の街並み。駅前を通る車が見えました。そういえば新町から追分に向かうとき真正面にドデーンと見えますもんね、室根山が。麓から見えるんだから頂上からも見えるという当たり前のことに感動しました。
夕方6時頃、いっときだけ海面以外のモヤが消えました。不思議。太陽が沈むのと何か関係があるんですかね。
日没直前の夜景。幻想的でした。
(5/4追記)けせもいうららなんて書きましたが、あれはヤマセだと知りました。
KENJI
帰省してこれまでの減量がパーになっています。釜揚げしらすうまいです。それはともかく連日室根山頂に来ていますが霧がかかって太平洋が見えません。かろうじて魚市場が見えるくらいで、望遠鏡で市街地眺めています。バカ殿の気分です。
KENJI@携帯
全国の工務店やモデルハウスで配布されるフリーマガジン「余はく」今春号で気仙沼の暮らしが紹介され、その中で我が家のブログも紹介していただきました。
…なんでも全国からパックに詰められ翌日には手に入る現代。便利だが何かが違う。その土地に訪れた私は『気仙沼』で暮らす人たちと出会い、彼らの暮らしがとても豊かに思えた。…
うんうん、わかります。豊かな食材だけでなく、ひっきりなしにやって来るおすそわけ、終電を気にせず飲める居酒屋、それらも含めて換算したらぜいたくな暮らしに違いありません。ちょっと小難しい話になるけれど、これからの時代、食の判断基準には3つの要素が必要になると思うんです。一つはトレーサビリティ。追跡可能性。どこで誰がつくったか流通経路が分かること。二つ目はセーフティ。安全な食べ物であるかどうか。三つ目はサステナビリティ。地球環境を維持できることを踏まえて生産しているかどうか。この3つの要素が全て揃うのが気仙沼だと思うわけです。
安全で追跡可能な食は全国どこでも組織単位でできます。ところがサステナビリティは地域単位で取り組まなければ出来ません。ただ、地域といってもいろいろな区切り方があるわけで、僕が思うに行政区単位でなくて河川の流域単位なのではないかと思います。そう考えると河川が短く、流域面積の狭いリアス式海岸地域は自然の循環システムにそくした生産、つまり地球環境を維持できる生産が可能だと思うわけです。実際に大川上流に植樹しているし、その成果がはっきりと現れているし、他の地域でまねをしたくてもできないような気がします。
って結局、「食住接近はすばらしい!」と言いたかったんだけど、自分でもわけわからなくなってしまいました。ハハ。
酔っぱらって書くもんでねえな〜!
KENJI
当店など、被災した内湾地区の国登録文化財は次の団体・企業のご支援で応急修理が進められています。世界各地からのご支援に深く感謝申し上げます。
文化財保護・芸術研究助成財団
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気仙沼風待ち通信 2013年2月号(PDF) |
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