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2005-07-02

時代の波

map1845

 1845年に難破した幸宝丸、千寿丸の乗組員22人を救出し、浦賀へ送り届けた捕鯨船の船長が、難破船のひとつから持ち帰った日本地図です。緯度や位置にズレはあるものの、北海道を除く日本の地名が細かく記されています。これはニューヨークにある日本クラブ1階のギャラリー「はるか海を越えて〜名もなき日本の親善大使〜」展で公開されています。9月2日まで。遭難で捕鯨船に救出されアメリカに渡った次郎吉、ジョン万次郎、ジョセフ彦の3人の半生が紹介されています。

 ジョン万次郎については“アメリカで教育を受けた初の日本人”程度の知識しかありませんでした。帰国後、士分に取り立てられ、欧米を知る唯一の日本人として幕府に重用されたそうです。咸臨丸使節団に同行したり、開成学校の教授をつとめたりと、明治維新のキーパーソンの一人だったんですね。

jirokichi そして、ジョン万次郎よりも3年早くアメリカを知ったのが北前船の乗組員だった次郎吉。1838年11月23日、仙台藩唐丹港(釜石の南)から江戸へ向かう途中激しい風に見舞われ漂流、143日後に捕鯨船に救助されてハワイへ。4年後にはオホーツク経由で帰国を果たしますが、当時の日本は鎖国の真っ最中、4年半もの取り調べを受け、その後の行方は分からないままです。

 ジョン万次郎が帰国したのが1851年、次郎吉が1843年。わずか8年の差でこんな違いがあったとは、数々の小説が示す通り激動の時代だったのでしょう。本当の荒波だけでなく、時代の荒波にも揉まれた乗組員たち。彼らがきっかけとなって日本の針路が決まっていったと言えなくもありません。

KENJI

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コメント

地図を大きくして見てびっくり!
先人がつけた地名が脈々と生きてるもんね。

大分勉強になりました。(日本クラブに行った様な?)

帰路、気をつけて。

気をつけて帰ってまいります。
ただいまアラスカ上空です。

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