美人計画 2008年2月号
本日発売の美人計画2月号(青春出版社)で、yokoが監修したダイエット食事法が載るそうです。管理栄養士でスポーツに携わっていることから、食事とエクササイズを組み合わせたダイエット法のコーナーを任されたとか。しかも顔写真が入っているらしく、本人いわく「まず私がやせなきゃ」とのたまっておりました。
それにしても食べてやせれるなんて、そんな夢のようなことがあるのかね。
減量中なので、見出しにとても惹かれている。
KENJI
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本日発売の美人計画2月号(青春出版社)で、yokoが監修したダイエット食事法が載るそうです。管理栄養士でスポーツに携わっていることから、食事とエクササイズを組み合わせたダイエット法のコーナーを任されたとか。しかも顔写真が入っているらしく、本人いわく「まず私がやせなきゃ」とのたまっておりました。
それにしても食べてやせれるなんて、そんな夢のようなことがあるのかね。
減量中なので、見出しにとても惹かれている。
KENJI
先日、アンバ大杉研究の第一人者である大島建彦先生にお会いして詳しく伺うことができた。かいつまむとアンバ大杉信仰とは、霞ヶ浦のそばにある阿波大杉神社が発祥で、ここの天狗が航行安全、疫病退散の神として信じられていた。それが水運の発達とともに伝播し、利根川と太平洋岸に広がっていったという。当時、伝染病は悪魔や悪霊がもたらすものと考えられ、天狗が飛来すれば疫病にかからないと信じ、アンバ囃子となって村づたいに広がる。しかし、あまりにも流行りすぎて暴徒と化すことを恐れた幕府はアンバ囃子を禁止した。だいぶ端折ったが、これがアンバ大杉信仰。
大島先生によれば、そのアンバ大杉信仰は3つの信仰圏にわかれるという。第一は今日でも阿波大杉本宮との関係が保たれている地域、第二はそれぞれの実情に応じて独自の祭りを営んでいる地域、第三は阿波本来の信仰と関わりなく独自の神霊として受け止められている地域がある。気仙沼のアンバさまは第三の信仰圏にあたり、宮古や石巻、相馬など東北の太平洋岸のアンバ様もそうらしい。
さてさて、気仙沼のアンバさまであるが、安波山に大杉神社が建立されたのは元文4(1739)年、廻船問屋の卯左衛門(西風釜)、長左衛門(横町)、市右衛門(八日町)の3名が伊勢参りの帰り、阿波大杉神社へ寄ってわけてもらったのがそもそもの始まりだ。卯左衛門さんの子孫は中井お茶やさん、長左衛門さんはアサヤさん。卯左衛門さんの子孫の伊勢勘さんだけは気仙沼を離れてしまったという。要するに廻船問屋のだんな衆によって大杉神社が建てられ、安波山と呼ばれるようになったわけで、歴史は比較的新しい。
幕府がアンバ囃子を禁止したのは享保12(1727)年。さらに元文3(1738)年には伊達藩も領内での禁制をしいた。にもかかわらず気仙沼に大杉神社が建立されたのはなぜだろう。アンバ囃子はせず、航海安全のためだけに限定するとでも約束したのだろうか。それとも藩の監視が甘かったのだろうか。カツオ漁で成した財力で役人を丸めこんだのだろうか。隠れキリシタンみたいに隠密に建立したのだろうか。そこに気仙沼人の精神性があるような気がする。
KENJI
今朝気がつきました。十月桜のつぼみがポッ、ポッと咲き出していました(嬉)。今春、地植えしようとしたら「大っきくなったら、誰が切るっけ!(オレだろ?)」とたしなめられて、特大の鉢に植えて我慢したのです。一度は花を楽しんだのですが、十月頃もう一度咲くはずなのに一向にその気配がないし霜や雪も降ったので諦めていました。
さぁ、これからが問題ですね。
鉢ごと玄関に入れてゆっくり楽しもうかなぁ、と考えて花木博士のgunさんに話したら「ダメダメ、時期がずれて来春咲かないよ。軒先にでも入れて、、、寒いだろうけど咲かせてやったほうがいいよ。」
なるほど納得!と思いましたが、、、十月桜ならぬ師走桜、、、さて上手くいくでしょうか?
seiko
当店など、被災した内湾地区の国登録文化財は次の団体・企業のご支援で応急修理が進められています。世界各地からのご支援に深く感謝申し上げます。
文化財保護・芸術研究助成財団
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