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2007-05-07

北緯38度54分を歩く~ワシントン編

Kesennuma_washington

 先月末は気仙沼街道を薄衣-千厩、矢越-気仙沼を歩いて、平泉へ行ってと北緯39度近辺の魅力を満喫した。以前、google earthで店米山武の茶の間の緯度を調べたら北緯38度54分24秒で、東海岸で同じ緯度をみたら、なんとワシントンD.C.だった。というわけで6年ぶりにワシントンへ来ています。

 店米山武の茶の間を目ぼしい建物に合わせて、気仙沼の地図をかぶせてみたら、

ワシントン・コンベンション・センター=店米山武の茶の間

ホワイトハウスのドーム=四反田の青果市場

連邦議事堂=商港フェリー乗り場

スミソニアン博物館群=ジャスコとクリエみうら

ペンタゴン=東陵高校の野球場

になった。上の写真がそうです。どっちの地図も白線なので見づらいけれど、グレーの部分が気仙沼湾、白黒の線が気仙沼線。ルービックキューブのように地球をカチャカチャ回したらワシントンに着いてしまうのか。なんてことはあり得ないけど、同じ緯度で太陽や月を見て、空を眺めていると思うと、地球って広いようで狭い。

KENJI

2007-05-06

出待ちウォッチング

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 ヤンキース対マリナースが13時からだと思って慌てて向かったら16時開始だった。暇つぶしに出待ちウォッチングする。12時前だというのに、選手入場口から40メートル位離れた柵にはすでに50人近くいた。一番人気はジーター。やっぱりな~。土曜日なのでボールとペンを持った小学生がわんさか。アジア人は僕くらい。

 正午過ぎ、トーリ監督が入る。みな「トーリ!トーリ!」と叫んで手を振っていた。12時半をまわると続々集まり、井川は一部のファンからブーイングを浴びせられていた。あれって一部なのに、全員の総意に聞こえてしまうんだろうな~。気の毒に。そしてマリアノ、カブレラ、デーモン、アブレイユと続く。

 って何でこんなに分かったかというと、解説してくれるおじさんがいたからだ。車種を見るなり誰のか教えてくれる。「彼女はスーザン。インタビュー担当記者」だの「彼は場内アナウンサーのボブ・シェパード」だの、選手以外の車も熟知している。1時前には出待ちが200人以上に膨らんで、途中参加の小学生は誰が入ったかおじさんに尋ねていた。写真の赤シャツのおじさんがそう。

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 12時55分、満を持してジーター登場。一瞬のチャンスを狙って小学生たちはボールを高く揚げ、女性は奇声を発している間にマツイ入場。何人か「マツウィ~!」と叫んでいたが、皆ジーターに気を奪われていた。案の定、ジーターが入場したら20人に減り、おじさんは「教えてくれてありがとう」と子供たちから握手を求められていた。

KENJI

スタテン島フェリー

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 長期休暇の後半は風まかせであちこちへ。ニューヨークへ何度も訪れていながら自由の女神を近くで見たことがなかったので、遊覧船に乗ろうとしたら7時じゃ早すぎた。で、スタテン島行きフェリーは接近しないけれど正面から見れそうだし無料なので、乗って眺めることにした。

 時間にして約25分。大島航路の10倍はあろう船内で、乗客は本を読んでいたり、化粧していたり、友達とおしゃべりしていたり。死角になりそうな最上デッキではカップルがイチャついている。自由の女神よりそっちの方が気になってきた。そのうち二人ともベンチに横たわり、着衣のまま重なっている。あわわわ。そんなの家ん中でやれと思ったが、船内とデッキを行き来していた僕を気にも留めずエスカレートしていく。このままどうなっちゃうんだろう、と思ったところで船が着いた。

 人の日常は僕にとっては非日常だもの。それが観光なのかなと思う。

KENJI

2007-05-04

気仙沼街道を歩く:薄衣〜千厩(2)

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 江戸時代、薄衣は河の港だった。米やたばこなど東山一帯の産品が集まり、北上川から石巻を経て江戸へ輸送していた。特に東山産の煙草は品質が良くて、偽物が出回るほどのブランドだったという。頻繁に物資を送って、今の静けさとは正反対の賑やかな港町だったのだろう。ちょんまげの水夫が俵を担いで筏に乗せていたのだろうか。川の流れにまかせて下ることはできるけど、上るときはどうしていたんだろう。売り物の材木を筏にして、石巻でばらしていたのだろうか。動力のない時代にどうしていたのかとても気になった。

 それと川岸は時に大水害に遭うこともある。最近だと1940年代のカザリン、アイオン台風による氾濫が有名だけど、治水技術が今ほど進化していない江戸時代なら、水害はもっと頻繁だったに違いない。堤防を築き、蔵は丘に建てて物資と生活を守ったのが垣間見える。藩の米蔵「御蔵」は、現在の役場のあたりにあったという。当時のものかどうか分からないけれど、古そうな蔵があったので登って覗いてみた。漆喰の壁でできたそれは、長い間放置されているようでぼろぼろだった。ほかの家の蔵も母屋より高くしてあったり、山の斜面にあったり。先人の努力と工夫を感じる。

KENJI

気仙沼街道を歩く:薄衣~千厩

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 4月27日、薄衣で降車。まず目をひくのは新しくなった北上大橋。いつだったか帰省したときツチノコ形の橋が突然できていてびっくりした。実際近くで見ると迫力に圧倒される。全長482mの鋼橋で、鋼重は4659.8t。3径間バランスド・タイト・アーチ橋と呼ばれる構造で、隅田川にかかる白鬚橋など同じ構造の橋は日本では4つしかない。橋のふもとには「田中賞受賞」という石碑が建てられていた。どうやら優れた橋梁建造物に贈られる賞らしい。

 けれど、よくよく調べてみると白鬚橋の構造は下路式ブレースドリブドタイドアーチ橋で、3径間バランスド・タイト・アーチ橋ではない。どっちも同じものなのかいな。専門的なことは良く分からないけれど、とにかく世界的に珍しい構造らしい。北上大橋の一部を請け負った橋梁メーカーの施工実績では、カナダ・ケベック州のラヴィオレッテ・ブリッジ、オーストラリア・シドニーのシドニー・ハーバー・ブリッジと同じとのこと。シドニーのなんか頂上まで登るツアーがあるんじゃないの。北上大橋に登ったらすぐさま通報されるだろうな~。

 話を4月27日に戻して、北上大橋にしばし見とれる。振り向くと上流の護岸にちょっとだけ旧北上大橋の跡が残っている。僕が通り始めた頃は既に老齢を迎えていた頃で、狭いしガッタンガッタン言うし、古いなあと思っていた。でも昭和13年の開通当時は一大交通革命だったという。

 それまで渡し舟だったことを思えば、そうかもしれない。

KENJI

岩手日報 いわての橋

22.北上大橋

142.北上大橋

三菱重工橋梁エンジニアリング 橋の美術館

北上大橋

河原田ライブカメラ

BBっといー東北