先日見つけた『本吉郡気仙沼より難船ニテ国々被流る事』の古文書を時系列順にまとめてみた。詳しくはこちら。古文書はむかし字でほとんど分からない。解説は何となく分かってどんどん引き込まれる。漂着者がいかに手厚く保護されていたか分かって涙が出そうになった。
(1)帰還のための代替船を手配した
(2)積荷の売却に協力した
(3)大坂(大阪)までの滞在・渡航費用をすべて負担した
これらはすべて琉球国と薩摩藩が分担している。病人には薬を与えた。死者には葬儀をほどこした。御番所向けの顛末書だから、役人に配慮した文面とはいえお礼の気持ちが十分伝わってくる。人の道はいつの時代も変わらないと思った。
最後、気仙沼を出発してから1年5ヵ月後にご当地へ帰着したとある。「ご当地」が気仙沼か分からない。鰹節や椎茸など、積荷の種類から見てたぶん気仙沼船籍だと思うが、さらに調べてみようと思う。文政六年、亀吉、琉球で没すと記されている過去帳が見つかるといいのだが。
KENJI
『本吉郡気仙沼より難船ニテ国々被流る事』(PDF:97KB)
気仙沼弁は擬態語も擬声語も豊富だ。それだけで通じるか考えてみた。
洗濯物、ばふらばふらすてきた。わらわらどいんながさ入れる。がふがふの靴で屋根さあがったっけ、はかはかどなったけんとすかすか直すた。
台風襲来前を想像できたであろうか。「風でみだれる洗濯物を急いで取り込み、大きめ靴で屋根にのぼり、心拍数があがったが手際よく修理した」といったところだろう。
ほかにも「ばんがばんが」「ほぎほぎ」「かやかや」「いかぽか」「よかまか」「めたらくたら」「ぺたらくたら」などがある。これらを発音しながら、あることに気づいた。
母音のア[a]で終わるのがほとんどだ。
母音のアを発音をすると、舌がうしろに下がって、のどが開いた状態になる。いわゆる後舌母音というやつだ。実際に試してみてほしい。舌がうしろに盛り上がりつつ、のどは開いているはずだ。それにしてもなぜこうも[a]ばかりなのだろう。たまたまなのか、言いやすいからなのか。
母音[a]の多用は気仙沼弁の特徴なのだろうか。詳しく調べてみたい。
KENJI
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気仙沼風待ち通信 2013年2月号(PDF) |
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