本日発売の美人計画2月号(青春出版社)で、yokoが監修したダイエット食事法が載るそうです。管理栄養士でスポーツに携わっていることから、食事とエクササイズを組み合わせたダイエット法のコーナーを任されたとか。しかも顔写真が入っているらしく、本人いわく「まず私がやせなきゃ」とのたまっておりました。
それにしても食べてやせれるなんて、そんな夢のようなことがあるのかね。
減量中なので、見出しにとても惹かれている。
KENJI
先日、アンバ大杉研究の第一人者である大島建彦先生にお会いして詳しく伺うことができた。かいつまむとアンバ大杉信仰とは、霞ヶ浦のそばにある阿波大杉神社が発祥で、ここの天狗が航行安全、疫病退散の神として信じられていた。それが水運の発達とともに伝播し、利根川と太平洋岸に広がっていったという。当時、伝染病は悪魔や悪霊がもたらすものと考えられ、天狗が飛来すれば疫病にかからないと信じ、アンバ囃子となって村づたいに広がる。しかし、あまりにも流行りすぎて暴徒と化すことを恐れた幕府はアンバ囃子を禁止した。だいぶ端折ったが、これがアンバ大杉信仰。
大島先生によれば、そのアンバ大杉信仰は3つの信仰圏にわかれるという。第一は今日でも阿波大杉本宮との関係が保たれている地域、第二はそれぞれの実情に応じて独自の祭りを営んでいる地域、第三は阿波本来の信仰と関わりなく独自の神霊として受け止められている地域がある。気仙沼のアンバさまは第三の信仰圏にあたり、宮古や石巻、相馬など東北の太平洋岸のアンバ様もそうらしい。
さてさて、気仙沼のアンバさまであるが、安波山に大杉神社が建立されたのは元文4(1739)年、廻船問屋の卯左衛門(西風釜)、長左衛門(横町)、市右衛門(八日町)の3名が伊勢参りの帰り、阿波大杉神社へ寄ってわけてもらったのがそもそもの始まりだ。卯左衛門さんの子孫は中井お茶やさん、長左衛門さんはアサヤさん。卯左衛門さんの子孫の伊勢勘さんだけは気仙沼を離れてしまったという。要するに廻船問屋のだんな衆によって大杉神社が建てられ、安波山と呼ばれるようになったわけで、歴史は比較的新しい。
幕府がアンバ囃子を禁止したのは享保12(1727)年。さらに元文3(1738)年には伊達藩も領内での禁制をしいた。にもかかわらず気仙沼に大杉神社が建立されたのはなぜだろう。アンバ囃子はせず、航海安全のためだけに限定するとでも約束したのだろうか。それとも藩の監視が甘かったのだろうか。カツオ漁で成した財力で役人を丸めこんだのだろうか。隠れキリシタンみたいに隠密に建立したのだろうか。そこに気仙沼人の精神性があるような気がする。
KENJI
減量を決意して3週間、やっと80kgを切りそうになった。毎朝晩体重計に乗って、81~83を行き来していた目盛りが79~81になりつつある。10年つきあった80kg台ともいよいよおさらばかぁ。このペースでどんどん落ちればいいが世は忘年会シーズン。気を緩めたら瞬く間にリバウンドしてしまいそうなので、ここで再度決意します。
69.2キロ!!!
これが機械がはじきだす僕の標準体重だけれど、そこまでいくには1年以上かかるだろうな。ムハァ、あと10kgか~。ウー、先が長すぎる。いかんいかん、決意しておきながら逡巡してるぞ。ま、焦らずいきますか。
ジムのインストラクターに作ってもらったメニューは、要するに筋力をつけ基礎代謝を上げ、有酸素運動で脂肪を燃やすという内容。最初は脂肪が減らずに筋肉がついて、ベルトの穴が一つ広がって焦ったけれど、2週間目ぐらいから朝起きたら脂肪が落ちているのが分かるようになった。これまで腹や背中に餅をひっつけていたようなものだと思った。
KENJI
当店など、被災した内湾地区の国登録文化財は次の団体・企業のご支援で応急修理が進められています。世界各地からのご支援に深く感謝申し上げます。
文化財保護・芸術研究助成財団
|
---|
気仙沼風待ち通信 2013年2月号(PDF) |
最近のコメント