タリバン
ゴーグルに手ぬぐいにタオルにと、焼き手は重装備。目黒のさんま祭り初参加のI手さんはタリバンと呼ばれています(写真参照)。
今年も2時間以上お待ちいただいているようです。お陰様で天気は何とか持ちそうです。 午後1時現在3500匹近く焼きました。5000匹まであと一息、頑張ります。
KENJI
ゴーグルに手ぬぐいにタオルにと、焼き手は重装備。目黒のさんま祭り初参加のI手さんはタリバンと呼ばれています(写真参照)。
今年も2時間以上お待ちいただいているようです。お陰様で天気は何とか持ちそうです。 午後1時現在3500匹近く焼きました。5000匹まであと一息、頑張ります。
KENJI
ニューヨーク経由でプエルトリコへ出張するブルムン店長と合流した。幼なじみの同級生とマンハッタンで快飲できるなんて嬉しくて、到着したてなのにあちこち振り回してしまった。もっとも夕方着いたので名所めぐりでなく、はしご酒ツアーを敢行した。
というわけで、マンダリンオリエンタルホテルのバーで一杯ひっかけた後、みそラーメンをすする。日本人クラブでブルムン店長と「おいらの船は300とん」を放歌し、韓国料理店でソーロンタンを平らげてお開き。時計は4時をまわっていた。
時差ボケできつかっただろうに、ニューヨークくんだりまで来て日本と変わらない行動に付き合わせてしまう。ところでブルムン店長は女性である。なのに女性にもてる。女性相手の商売をしているからなのか、もともとの素質なのか、開けっぴろげな性格が人を惹きつけるようだ。ホステスから「姐さん」と呼ばれ、一緒に行った仕事仲間のジェフまで姐さんと呼んでいた。
ブルムン店長、恐るべし。
気仙沼だろうがニューヨークだろうが、人を惹きつける磁力は万国共通のようだ。
KENJI
8時46分からマンハッタンのあちこちで、黙祷のサイレンが何度も鳴っている。
2001年9月11日朝、僕はトロントからニューヨークへ向かおうとしていた。荷物をまとめ、NHKの国際放送をみていたら突然中継画面に変わった。映画かと思うような光景が映しだされる。アメリカ人の友人は、両手で頭を抱え「オーマイガッ」を連発していた。翌日の午前中に行くはずのWTCが崩れていく。一日違っていたら瓦礫に埋もれていたかと思うと、今でも背筋が凍る。
それから1週間、「真珠湾以来の奇襲」と報じる米メディアもあった。書店には真珠湾攻撃の関連書籍が平積みされ、無差別テロと一緒くたにされて悲しかった。と感じていたところに、日本人有志でワシントンポストに意見広告を出すことを知り、僕も名前を連ねた。America, We are with you。同時多発テロは真珠湾攻撃とはまったく違ったものであり、私たちはあなた方と同じ痛みを分かち合っている、といった内容だ。
あれから5年。with youと言いたくても、アメリカだけが突っ走っているような気がしてならない。どちらかがギャフンと言うまで続くのだろうか。
グラウンド・ゼロの脇に特設された鎮魂の鐘をついてきた。
KENJI
当店など、被災した内湾地区の国登録文化財は次の団体・企業のご支援で応急修理が進められています。世界各地からのご支援に深く感謝申し上げます。
文化財保護・芸術研究助成財団
|
---|
気仙沼風待ち通信 2013年2月号(PDF) |
最近のコメント