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33 posts from 2005年12 月

2005-12-03

鼻地獄耳地獄

Tentenya  のっけからハプニング続きで、新幹線の隣席はこともあろうに楽天監督夫人だった。カウンターで通路側しかないと言われて満席に近いのは予想していたけど、それならそうと言ってくれよお姉ちゃん、これじゃ眠れないじゃないか…と心の中で八つ当たりした。僕の座席には読みかけの雑誌が置いてあったので、参ったなあと思いつつも声をかけた。

「すみません、そこ僕の席ですが空いてる座席に座ります。」
「あら、そう。これ仙台まで止まらないんでしょ。」
「いえ。上野と大宮にも止まるようです。」
「…。」

僕は近くの座席に身を隠していたが、こういう時に限って満席になってしまう。結局、上野駅から隣同士で仙台へ向かった。それにしてもアメリカでもかいだことのない香水の香りが車内に漂っている。発信源は隣席だ。これは鼻腔への拷問である。さすがに大宮駅を過ぎたあたりでギブアップしてデッキで深呼吸し、宇都宮駅を過ぎたあたりで鼻が慣れたのか麻痺したのか、いくぶんか和らいでいたので席に戻った。昨晩徹夜だったしゆっくり眠ろうと思って予約したグリーン車。目的を達成すべく、備えかけの毛布をかぶって一気に眠ったら仙台に着いていた。

 彼女は僕のイビキに悩まされたに違いない。お互い様だった。

KENJI

(1)仙台駅前の「気仙沼・あさひ鮨」へ寄ったら、本店にいた30年選手のM田さんが握っていたので、念願の戻りガツオのハラスを握ってもらった。うまいー!
(2)同級生と気仙沼のそば屋へ行ったら、惜しげもなく森伊蔵が置いてあった。すげー!

2005-12-02

帰省

 明後日、サヘエおっぴい(1892-1974)とキヨエおっぴい(1900-1993)の33回忌と13回忌法要が営まれるので、一族郎党が集まるらしい。例に漏れず僕も招集されたので週末帰ります。親戚のみなさま、寒いので道中お気をつけてお越しくださいとの伝言を預かりました。1年ぶりの帰省なのでとても楽しみです。

 帰ったら、何よりも気仙沼弁のシャワーを浴びたいでござりす。

KENJI

2005-12-01

うだっこ歌い(下)

Hmv_shinjuku  25日、畠山美由紀さん恒例の品川教会ライブへ。教会の荘厳さと相まって、哀しみと喜びが耳から背中へ突き抜けていくような澄んだ空気振動が会場を満たしていました。詳しくは熱烈な美由紀ファンであるMika_SSさんの「ふしぎ!新アイスマンゴー工房」をどうぞ。そして翌日、HMVへ行ったらニューリリースの棚に新譜が面出し展開されていました。エイベックスへ移籍後初のシングルは4曲入りと大盤振る舞いです。

うだっこ歌い(上)からの続き…

 それにしても「美由紀は必ずうだっこ歌いになっから見でろ」と可能性を見抜いていたヴァンガードのマスター。彼女の歌声を聞いてもいないのに、歌手になりたいと聞いただけでのご託宣。美由紀は放課後ヴァンガードへ通いつめて名盤を聴き入り、ライブでは最前列に陣取っていました。カラオケ大会だろうが市民音楽祭だろうがチャンスがあれば歌っていました。マスターはそういった彼女の熱意を感じ取ったのでしょう。高炉のようにいつまでも消えない情熱というか、魂というか。なりたい職業がいくつもあった高校生の僕は「じゃあ俺は?」と聞いたら「バガ。おめえは米屋だ」とマスターに言われました。

 そんな昔を思い出しながら聴くと奥底まで沁みわたります。もちろんボイストレーニングや場数を踏んで得た技術もあるでしょうが、それは誰もが到達できる部分で表層に過ぎないような気がします。深層にある情熱を声に乗せて歌う喜びを全身で表す、それがうだっこ歌いなのかなと思いました。心から歌う。それが畠山美由紀の持ち味なんだと思います。

 今日、公式ファンクラブが開設されたので朝一番に申し込んできました。

KENJI

ピーターバラカンの音・粋・人(畠山美由紀の「今月の1枚」が掲載されています。)

河原田ライブカメラ

BBっといー東北