マデに
日経に福島相馬地方の方言「までい」が載っていた。これ、気仙沼でもイントネーションは違えど言ってるんでないの。両手を意味する“真手”から来ているらしく、意味は「丁寧に」。調べてみると東北のあちこち、とくに太平洋側で使用されている。イントネーションは微妙に違うだろうが、気仙沼ではカクテルの「マティーニ」と同じイントネーションで発する。さらに演歌のうなりを織り交ぜて「マデェーに」と発するとそれらしく聞こえる。
床屋で「マデに切ってけらい」と言えば通常より長時間、ステーキ屋で「マデに」と言えばウェルダンが出る。かどうかは噂だが、気仙沼では「時間をかけて」の意味で使われる場合が多い。使用場面を考えてみると、親に言われた記憶はあるが、言った記憶がない。客が言うことはあっても、店からは言わない。そりゃ丁寧にやるのは当然だから自ら「マデにやりました」とは言わない。そう考えるとマデは店と客、親と子、親方と弟子のように力関係がはっきりしている場合に、命令、依頼、要求、報告で使われていると思う。「両手で扱うほど丁寧に」が本来の意味だから、それを知ってか知らずか目下の者は使わないのかもしれない。
ところでこのマデ、語源は万葉集までさかのぼる。両袖を「真袖」と詠み、当時から完全な状態を「真」と呼んでいたという説が有力だ。また「真手」は平安末期の歌人、西行法師が次の歌を詠んでいる。
御手洗(みたらし)に 若菜すすきて宮人の まてに捧げて 御戸開くめる <山家集>
水場で春菜をすすぐ宮仕えが、うやうやしく両手に持って戸を開ける…ということなのだろうか。でも両手が塞がっていたら、足や肩で開けたのだろうか。まあそれはいいとして、西行法師は奥州藤原氏の遠戚で、奥州へ二回来訪していることにピンときた。西行法師の行路と「マデ」の使用分布が重なったら面白いなと。マデ=両手=完全な状態=拝む手つき=真理とつながるのではないか。ひょっとして西行法師は仏法を説きながら奥州へ来ていたのかも。
それに西行法師が奥州藤原氏を訪ねた理由は、友人の僧侶から東大寺再建のスポンサー探しを頼まれたためと言われている。当時、奥州は金の産地。金で覆われた大仏を作るには、藤原氏の協力が必要だったと思う。そして、援助を約束した奥州藤原氏は、金の採掘現場へ「真手に」とお触れを出したのかもしれない。産金地と「マデ」の分布が重なったら面白いかも、なんてまた仮説を立ててみた。
知の蟻地獄に陥っている。
KENJI
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