風待ち研究会、日本都市計画家協会特別賞受賞
店米山武を調査してくださった「風待ち研究会」が、日本都市計画家協会特別賞を受賞しました。おめでとうございます。風待ち、板倉、黄金酒街道と、地域の魅力を再発掘して全国へ発信している点が評価されたようです。
手弁当で活動されている風待ちの皆さんに改めて感謝申し上げます。住んでいるわけでもなく、会員でもないけど、うれしいです。
KENJI
店米山武を調査してくださった「風待ち研究会」が、日本都市計画家協会特別賞を受賞しました。おめでとうございます。風待ち、板倉、黄金酒街道と、地域の魅力を再発掘して全国へ発信している点が評価されたようです。
手弁当で活動されている風待ちの皆さんに改めて感謝申し上げます。住んでいるわけでもなく、会員でもないけど、うれしいです。
KENJI
先週木曜日、題名のない音楽会21の公開録画へ行く。「指揮者になる夢かなえます①②」と「華麗なるTVドラマ主題曲」の3本撮りで、演奏は東京シティ・フィル。指揮者になる夢~は審査で選ばれた視聴者が指揮するという趣向。審査員は指揮者の小松長生さんと作曲家の千住明さんと服部隆之さん。指揮の優劣でなく、音楽をいかに愛しているかで審査していた。
客席で小松さんの奥さんとばったり会い「タケヤマさんは応募したの?」と聞かれる。いやぁ、知っていたら応募していたのに。というのも7年前、東京フィルの演奏会で指揮者募集に飛び跳ねて挙手したら、そんなに振りたいのならと指揮させてもらったことがある。曲はベートーベンの「運命」第一楽章をフルオーケーストラで40小節ほど。指揮棒を振り上げた瞬間、50台以上ある楽器が臨戦態勢に入る。楽団員の気が指揮棒に集まっているのが分かった。思いっきり振り下ろしたら「ジャジャジャジャーーーン」ときた。あの瞬間を思い出すと今でも興奮する。でも結局、左右から次々と出る音に右往左往して、観客はゲラゲラ笑っていた。
収録もそんな感じかと思っていたら大間違い。それぞれ練習を重ねたらしく、思いのたけを指揮棒であらわしていた。うれしさと同時に緊張感も伝わって、聴いているこっちが汗ばんでくる。日本舞踊のような、ラジオ体操のような、個性的な指揮が続く。参加者は福岡だの広島だの全国各地から集まっていた。その中に、一関から来た人がいた。金野忠さん。演奏はベートーベンの「交響曲第6番<田園>第一楽章」より。指揮前のMCで「いなかの風景を想像して振ります」と話していた。おぉ、となり町じゃないの。千厩だいが、それとも旧一関だいが。一関は広いおんな~。どの辺の風景だいが。そんな心持で聴いていたら、北上川の両岸に広がる青々とした田んぼが浮かんできた。薄衣のような、平泉の手前のような。とうとうと流れる北上川、緑色の地面に青色の空。のどかな風景が音とともにやってきた。
それで結局21人が振って、特別賞が3人、グランプリが1人。僕の斜め前には台本を持った人がいた。たぶん構成作家だと思う。グランプリ受賞者の喜びのコメントを聞いて涙ぐんでいた。音楽の喜びを爆発させていたあのコメントには、僕も泣きそうになった。
会場の雰囲気、放送で伝わればいいな~。
詳しくは放送で。
KENJI
テレビ朝日系 題名のない音楽会21
7月1日、8日放送予定
「指揮者になる夢かなえます 第1回振ってみまshow」
6月24日放送予定
「華麗なるTVドラマ主題曲」
土曜日曜と、5年ぶりに六大学野球を観戦。明治対早稲田。観客数土曜17000人、日曜30000人って、佑ちゃん効果すごいです。先発予告だけでこんなに増えるんだもの。隣のおばちゃんは双眼鏡で斉藤投手ばっかり追っかけているし、後ろでは年下の女の子が徒党を組んで応援しているし。両応援団とも昨日以上に気合が入っている。明治の学生席からの「斉藤ぶっつぶせ」コールにおばちゃんは「失礼ね!」と憤怒している。そこ怒るところじゃないっすよ~。それにしても近年の早慶戦にもない盛況ぶり。一人のスターでこんなにも変わるのかと思った。
トイレに行ったら外では「牛丼すき家は残業代を払え~!」「ネットカフェ難民に住居を与えろ~!」とシュプレヒコールをあげて、デモ行進している団体がいた。残業代は分かるけど、ネットカフェ難民に住居って。せめて「若者の日雇い労働を減らせ」なら共感できるのに、問題の本質をすりかえて煽られている若者たちが痛々しく見えた。
球場では応援合戦、外ではシュプレヒコール。なんか平和だなあ。
若者それぞれの等身大の世間を垣間見た。
KENJI
またかよ!とお思いの方、そうです、まだまだあるんです。今度は気仙沼から西へ向かいます。前のペースで書いたら何ヶ月もかかりそうなので、駆け足で。
というわけで、上の写真は大林橋から山沿いに沿った切通の道。左手10メートル下には大川が流れ、右手は岩がむき出しに。がけ崩れでもあったら一瞬で大災害になりそうな道に見えたけど、いつまで使っていたのだろう。橋梁技術が発達していない時代、ここを通りぬけていたと想像したけど、標識やらガードレールやら、舗装跡が残っていたので最近まで使っていたのかも。大八車でえっちらおっちら運んでいたんですかね。どなたかご存知の方、教えていただけませんか。
で、八瀬大橋の先に出て旧284号線へ。キジの鳴き声が響いていたり、大船渡線が汽笛を鳴らしてトンネルを抜けていたり。心電図みたいなカーブが延々と続いて、遠足では出発間もないのにバス酔い者が続出して、ビニール袋が大活躍だったのを思い出したり。そんなこんな思い出していくうちに、むかし三陸新報でみた新月渓谷の写真が浮かんで探してみることにした。その記事は確か新月ダム反対の寄稿で「大川の水は渓流で空気がまざるからおいしい」といった内容だったと思う。その写真は厳美渓のような風景で、気仙沼にこういう場所あるのかと思った。そんな記憶と水の音を頼りに、枝分かれする道を片っ端から下る。
もぐり橋を越えて、林道へのぼる手前に獣道があった。なにかにおう。滝の音もする。藪をかきわけて水辺に着いた。おおお、ここですぞ!あの写真は!興奮してずんずん進むが、あと10メートルのところで飛び石が切れた。degが中学生の頃、同級生と飛び込んでいた戸羽平の滝壺ってここだろうか。あー、20年早く知っていれば僕も飛び込んでいたのに。
当店など、被災した内湾地区の国登録文化財は次の団体・企業のご支援で応急修理が進められています。世界各地からのご支援に深く感謝申し上げます。
文化財保護・芸術研究助成財団
|
---|
気仙沼風待ち通信 2013年2月号(PDF) |
最近のコメント