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2007-05-06

スタテン島フェリー

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 長期休暇の後半は風まかせであちこちへ。ニューヨークへ何度も訪れていながら自由の女神を近くで見たことがなかったので、遊覧船に乗ろうとしたら7時じゃ早すぎた。で、スタテン島行きフェリーは接近しないけれど正面から見れそうだし無料なので、乗って眺めることにした。

 時間にして約25分。大島航路の10倍はあろう船内で、乗客は本を読んでいたり、化粧していたり、友達とおしゃべりしていたり。死角になりそうな最上デッキではカップルがイチャついている。自由の女神よりそっちの方が気になってきた。そのうち二人ともベンチに横たわり、着衣のまま重なっている。あわわわ。そんなの家ん中でやれと思ったが、船内とデッキを行き来していた僕を気にも留めずエスカレートしていく。このままどうなっちゃうんだろう、と思ったところで船が着いた。

 人の日常は僕にとっては非日常だもの。それが観光なのかなと思う。

KENJI

2007-05-04

気仙沼街道を歩く:薄衣〜千厩(2)

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 江戸時代、薄衣は河の港だった。米やたばこなど東山一帯の産品が集まり、北上川から石巻を経て江戸へ輸送していた。特に東山産の煙草は品質が良くて、偽物が出回るほどのブランドだったという。頻繁に物資を送って、今の静けさとは正反対の賑やかな港町だったのだろう。ちょんまげの水夫が俵を担いで筏に乗せていたのだろうか。川の流れにまかせて下ることはできるけど、上るときはどうしていたんだろう。売り物の材木を筏にして、石巻でばらしていたのだろうか。動力のない時代にどうしていたのかとても気になった。

 それと川岸は時に大水害に遭うこともある。最近だと1940年代のカザリン、アイオン台風による氾濫が有名だけど、治水技術が今ほど進化していない江戸時代なら、水害はもっと頻繁だったに違いない。堤防を築き、蔵は丘に建てて物資と生活を守ったのが垣間見える。藩の米蔵「御蔵」は、現在の役場のあたりにあったという。当時のものかどうか分からないけれど、古そうな蔵があったので登って覗いてみた。漆喰の壁でできたそれは、長い間放置されているようでぼろぼろだった。ほかの家の蔵も母屋より高くしてあったり、山の斜面にあったり。先人の努力と工夫を感じる。

KENJI

気仙沼街道を歩く:薄衣~千厩

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 4月27日、薄衣で降車。まず目をひくのは新しくなった北上大橋。いつだったか帰省したときツチノコ形の橋が突然できていてびっくりした。実際近くで見ると迫力に圧倒される。全長482mの鋼橋で、鋼重は4659.8t。3径間バランスド・タイト・アーチ橋と呼ばれる構造で、隅田川にかかる白鬚橋など同じ構造の橋は日本では4つしかない。橋のふもとには「田中賞受賞」という石碑が建てられていた。どうやら優れた橋梁建造物に贈られる賞らしい。

 けれど、よくよく調べてみると白鬚橋の構造は下路式ブレースドリブドタイドアーチ橋で、3径間バランスド・タイト・アーチ橋ではない。どっちも同じものなのかいな。専門的なことは良く分からないけれど、とにかく世界的に珍しい構造らしい。北上大橋の一部を請け負った橋梁メーカーの施工実績では、カナダ・ケベック州のラヴィオレッテ・ブリッジ、オーストラリア・シドニーのシドニー・ハーバー・ブリッジと同じとのこと。シドニーのなんか頂上まで登るツアーがあるんじゃないの。北上大橋に登ったらすぐさま通報されるだろうな~。

 話を4月27日に戻して、北上大橋にしばし見とれる。振り向くと上流の護岸にちょっとだけ旧北上大橋の跡が残っている。僕が通り始めた頃は既に老齢を迎えていた頃で、狭いしガッタンガッタン言うし、古いなあと思っていた。でも昭和13年の開通当時は一大交通革命だったという。

 それまで渡し舟だったことを思えば、そうかもしれない。

KENJI

岩手日報 いわての橋

22.北上大橋

142.北上大橋

三菱重工橋梁エンジニアリング 橋の美術館

北上大橋

2007-05-03

気仙沼街道を歩く

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 徒歩が脳の処理速度に最適な気がする。つい200年前まで主な移動手段は徒歩だったことを思えば、世の中便利になったと思う反面、人間の能力はその速度に追いついていないようにも思う。

 高速走行中の新幹線から外のにおいはかげないし、眺めることはできても次々と風景が変わっていく。車もそうかもしれない。五感にふれるにはやっぱり歩くしかないとの結論に達し、気仙沼まで歩いて帰ると決めた。といっても、東京から500キロ。いくら俊足でも10日はかかるので、暇を見つけて少しずつ歩いてみることにした。

 最初の目標は気仙沼街道走破。いまの国道284号線とほぼ同じ。気仙沼から千厩を抜けて薄衣へ、北上大橋を越えたら花泉へ向かう道。色々調べてみると室根山への参詣道としての役割があったり、交易路としての役割があったり。その辺は後で書くとして、とにかくどんな道にも歴史やドラマがある。誰かが歩き始めたり、つくらなければ道はできないんだもの。今では重機で整備できるけど、昔はすべて人力だったろうし、橋ひとつ掛けるのだって一大事業だったに違いない。すごいよね道って。

 なんて想いをめぐらせているうちに、むかし読んだ十返舎一九の『東海道中膝栗毛』や司馬遼太郎の『街道をゆく』を思い出して、話がまとまらなくなってきた。いかんいかん、道を語らせれば一家言あると思っていたのに。

 何を言いたいのか分からない文章になるかもしれませんが、要は散歩記録です。よろしくおつきあいください。最初からそう書けば良かったー!

KENJI

 

2007-04-30

山猿出動

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 たらの芽を採りに八瀬へ。山猿のSEIKOさんを先頭にイノシシとトドが後を追った。手馴れた山猿とイノシシは藪の断崖をずんずん登っていく。長柄のカギ棒でたらの先端をたぐり寄せてポキッと摘んでいた。

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 身長の2倍以上ある高枝もへっちゃらの山猿。

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 イノシシ団長、イバラの崖に悪戦苦闘中。

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 戦利品は天婦羅と酢味噌あえに。

KENJI

河原田ライブカメラ

BBっといー東北