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一雨ごとに秋が深まりつつあります。今日の気仙沼は久しぶりの雨でした。松の木に絡みついた蔦が色づいてきたので、小雨の中でパシャっと。
そして本日、念願だった「むかごご飯」を炊いてみました。むかごは、今ではすっかり有名になった自然薯の葉のつけ根にできる珠芽のことを言います。以前、から煎りして塩コショウをふってお酒のつまみにしたものや天ぷらは作りましたが、ごはんは初挑戦です。お米とむかごとお酒、塩を強めに入れただけのシンプルなものですが、むかごのほっくり感と素朴な味がたまりません。ごはんのもっちり感と違って、ねばりの中にホクホク感があるような、、、そう、里いものような感じかもしれません。写真でみると、コーヒー豆かチョコチップの炊き込みみたいですね。
seiko
秋の陽ざしを浴びた柿と、葉に擬態したようにひっそりと実っている無花果。おいしいものに目がないのは人も鳥も変わらないようで、どちらもヒヨドリたちが狙っています。さて実りの秋本番、植物からのおすそわけを近所の野鳥たちとともにいただきたいと思います。
そういえば、わが家の無花果は約50年前、サヘイおじいさん(1893-1974)が植えたそうで、数々の逸話が残っています。40数年前、実を採ろうとして3メートル下の畑にドスンッ!と落ちた人はさあ、誰でしょう。
50年も過ぎると実はてっぺんにしか付かなくて、なかなか手が届きません。それをいいことに野鳥の恰好の餌になって、私たちの口にはほとんど入らなくなっていました。そして5年前、もういいだろうと一気に伐採。日曜庭師fumihideの恰好の材料になってしまいました。泣くに泣けない私でしたが、植物の生命力はたくましいですね。それでも翌年新芽が出て、数は少ないけどまた実りました。人間も五十路を過ぎると養分はてっぺんにしかいかないのかしら?ショック療法で立ち直れるのかしら?なんて重ね合わせてみましたが、どうやら人間と植物は違うようですネ。
hirokoがもうじきお産なので、一緒にseiちゃんも気仙沼にいます。2ヶ月ほどの予定ですが、転園児としてカトリック幼稚園へ通わせていただくことになりました。実は店米山武一家では、誰も転校を経験したことがありませんから園に馴染むだろうか、友達ができるだろうかなんてちょっぴり心配。先週末に一度通園して連休になって、昨日は「いもほり遠足」。突然の転園児は行事についていけるか気になって、配達にかこつけてこっそり覗きに行きました。結果は写真でご覧の通り、先生に抱きかかえられることもなく、はぐれてるわけでもなく、みんなと一緒に芋掘りを楽しんでいたようです。あぁ、恥ずかしい、、、。親バカならぬ爺婆バカぶりを発揮してまいりました。こういうのって親の親バカとでも言うのでしょうか。
と今朝、seiちゃんと歌いながら「つる梅もどき」の葉っぱをむしりました。昨年、自宅近くに生えているのを見つけ、柵に絡みつかせて大事に育てて見守ってきました。けれども、絡まりすぎて先週末に大格闘。剪定に意外とてこずってしまいました。
今日のぞいたら、スジでもついているかのように綺麗に割れて、中から橙色の実が顔を出しました。羽子板の羽根みたいですね。ほんと、自然のなせる業に脱帽です。
あまりにも綺麗なので、店に飾りました。
seiko
当店など、被災した内湾地区の国登録文化財は次の団体・企業のご支援で応急修理が進められています。世界各地からのご支援に深く感謝申し上げます。
文化財保護・芸術研究助成財団
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気仙沼風待ち通信 2013年2月号(PDF) |
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