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今朝、近海マグロ船の仕込があり、脇では巻き網運搬船が水揚げ中。岸壁にはウミネコがひなたぼっこをしていました。
「あれはね、鰹の巻き網船なのっさ。珍しいっぺ。」と声を掛けてきたトラックの運転手さん。「今日の鰹はね、石巻のほうが3倍も水揚げあったんだよ。ここの魚価がもう少し上がればいいのにね。」と内輪話を聞いて欲しいとばかりに話し出しました。そうなんですね。消費者は安いのが何よりだけど、特に第一次産業で生計を立てる人にとっては価格が経営にも報酬にも直結しますもの。適正価格かそれ以上の値段で取り引きされるといいですね。
次は店舗外観のテレビの取材がありました。シャッター通りと呼ばれるこの通りも、月末の午前中は普段より車や人の往来があります。リハーサル、本番とも賑やかで雑音が入らないかと気になりました。10月5日(水)夕方5時、NHK仙台放送局「てれまさむね」でちょっとだけ映る予定です。
そして極めつけは夕方に届いた「あなご」。ご飯もそっちのけで、この歳にして初めて最初からさばいてみました。今日は珍しくfumihideが現場監督に。毎日のように鮮魚卸の○入さんへ出入りしているうちに職人さんがおろす様子をうかがっていたんですね。配達そっちのけで暇つぶしに出かけてなかったことが判りました。
一番先は頭の下から包丁を入れてほねに沿って少しずつおろす。背びれをザアーっと切って、次は中骨を下ろし、頭をちょん切る。と見てきたことを忠実に再現しろとばかりに指示しています。
うまくおろせたでしょうか?次回はなんの料理に変身したか?お楽しみに。
seiko
物好きもここまで来るとただの阿呆と言われそうですが、行って来ました楽天さんままつり。フルキャスト宮城で行われた最終戦で「さんまを焼いて楽天を応援しよう」ということで、目黒のさんまつながりでお呼びがかかってお手伝いに。以前行ったのはfumihideが加入していた朝野球チーム「ダイヤモンドイーグルス」の県大会の応援だったと記憶しています。20数年ぶりに行った宮城球場は名前も景色もすっかり様変わりしていました。
さて、楽天さんま祭りですが、フルスタでDJをつとめる岩手さんが仲介役になって企画が持ち上がってからあっという間に話が進み、実行委員会が立ち上がったそうです。今回も目黒と同じ方式で公募して、参加費は3000円。41人で焼いてきました。本番になっても雨はやまず最悪の状態にありながら、1000人あまりの方々に炭火焼のさんまを味わっていただきました。
泥んこ作業にしかも人数ぎりぎり。余裕がなくてその様子は撮れませんでした。焼き終える頃には雨も止んで、後はにわか応援団に加わって6回から観戦してきました。残念ながら楽天は敗れて95敗目。ホーム最終ゲームだったので、田尾監督らへ花束贈呈のセレモニーがバックスクリーンに映し出されていました。ところが帰宅したら解任を知ってびっくり。応援するチームが勝つに越したことはありませんが、負けても負けても立ち向かう勇姿に心打たれました。とにかくお疲れ様でした。
昨日のフルキャスで、はらわたが煮えくり返ったのは、三木谷オーナーでも田尾監督でもなく、さんまだったのでした。
さあ!切り替えて仕事、仕事。気仙沼ではもうすぐ新米の季節です。
seiko
ミニチュア田んぼの稲が順調に育ち、カエルやカマキリなどの小さな訪問者に喜んでいたのもつかの間。もうここまで来たら大丈夫だろうと高をくくっていたら、干ばつに遭わせてしまいました。人為ミスです。何とも可哀相な状態になってしまいました。
「米という字を分解すれば、八十八たびの手がかかる」とこめ節に唄われていますが、ほんとうですね。その心を知ってか知らずか、苗を頂いた方が立派な稲を届けてくださいました。
4日前まで本物の田んぼで仲間と一緒に育った稲はやっぱり凄く元気。巷のスズメが時々様子伺いに来ています。水管理をこまめにすること。もう少し深めの一斗缶にすること。土作りや飼料も十分やること。来年の課題も見えてきました。
さあ、いつ新嘗祭にしようかな。
seiko
当店など、被災した内湾地区の国登録文化財は次の団体・企業のご支援で応急修理が進められています。世界各地からのご支援に深く感謝申し上げます。
文化財保護・芸術研究助成財団
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気仙沼風待ち通信 2013年2月号(PDF) |
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