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20 posts from 2006年3 月

2006-03-26

時代はまわる

Hiuganatsu_004  出会いと別れをくり返し、、、と中島みゆきさんの「時代」をふと思い出しています。多くに方々に支えられて、無事父を送ることが出来ました。皆さん、本当にありがとうございました。

 写真奥は日向夏(ひゅうがなつ)という柑橘類の一種で薄く皮をむいて、ワタの部分も違和感なく食べられるのでびっくりです。ブログ繋がりのmomoさんが、ご主人の転勤で気仙沼を離れるそうでおみやげを届けてくださり、父に線香を手向けてくださいました。入院する前の日、彼女が持参した秋田のヌレせんべいを美味しく頂いていた姿が忘れられない、そう話していました。

 ほんとうに不思議な縁を感じ、また父を思い出して悲しくなってしまいます。が、「あなたには涙が似合いそうもない」という友人たちの励ましを信じようと思います。みなさん、どうぞ私達にお力を貸してくださいね。

seiko

2006-03-24

福留になれない

 喪中なもので、僕が多めに投稿するようになったらアクセス数が半減した。あちゃー。他のメンバーはもう少し先になりそうです。毎日楽しみにしてくださっている皆さん、ごめんなさい。

KENJI

2006-03-22

やせミチを歩く その2

Satomiya_shrine_1  すっかりご無沙汰していた散歩シリーズ。その1で想像にまかせて適当に書いたら不安になって、あちこちの書物を探っていくうちに収拾がつかなくなっている。まるで蟻地獄だ。一点に集中して深く掘り下げようとすると周りから土が崩れて埋まっていくように、縁辺の情報も知らないと核心にあたらない。街道にはまってしまった。面白すぎる。

 というわけで前回、八瀬街道は平泉との交易路だと推測したが、どうやら胆沢とつながったのが先のようである。地図を見ても、八瀬街道から大原を抜け、国道343号線を結ぶと胆沢城との最短経路になる。

 胆沢城といえば802年、今から1200年前のことだ。律令国家が東北進出の拠点として征夷大将軍の坂上田村麻呂が造営し、808年に多賀城から移された鎮守府である。多賀城ができたのが724年だから、胆沢城に移るまでの約80年間で気仙沼も律令国家に組み入れられたのだろう。蝦夷と律令国家の境目には文化的衝突があったのだろうか。親潮と黒潮がぶつかりあうと生産生物が活発になるように、境目に何か有意性があるかもしれない。なんて想像していくうちにおっとっと、また変な方向へ興味が移ってしまう。京都では新しい支配地域に入植者を募集した。誰が来たのだろう。これまた興味深い。

 国道284号線から現在の県道をてくてく歩いていたら神社を見つけた。カメラをぶら下げて覗いていると神主が出てきた。里宮神社。聞けば平成元年、八瀬地域にある北野神社、八雲神社、秋葉神社の3つをまとめ、分社した。どれも山の上にあり、高齢化と過疎化で参拝しにくくなっているために里に設置されたという。気仙沼で北野神社といえば新町のお天神さんを考えてしまうが、上八瀬にもあると初めて知った。しかも1000年前からあるそうだ。八雲神社は998年前から。逆算すると奥州藤原氏より前の時代になる。これらの神社は原始宗教が始まりなのか、それとも文化やら風習やらを伝播する道ができて始まったのか。名前からみて僕は後者ではないかと推測した。

KENJI

2006-03-21

おそすぎエンターテインメント

 遅すぎではない。お葬式を気仙沼弁でいうと「おそすぎ」になる。「す」をシとスを一緒に、「ぎ」を鼻濁せずギとゲを同時に発するとよい。おすぎとピーコの「おすぎです」にソを足したらいいかもと試してみたら「おすげです」になってしまった。気仙沼弁の産湯につかって育っただけあって、3日間で勘を取り戻した。

 それはともかく、お葬式は喜怒哀楽のジェットコースターだった。初七日を終え、それぞれの日常に戻りつつある。もちろん悲しみにもくれたが、大往生だったので笑っても許される雰囲気があった。20年ぶりの親戚との再会を喜んだり、忌中払いで昔話に花を咲かせたり。僕は実家を離れているから、久しぶりにお会いする方ばかりで目が回ってしまった。

 いなかの葬儀は大変だと、あちこちで聞いていたので心配した。確かに大変だ。でも、ひも解けば突然ふって沸いた作業を3日間で完了しなければならないこと、受付だの行列だの留守番だのを頼まなくてはならないこと、弔問客に粗相があってはならないことが重圧に感じるのだろう。宝塚やディズニーランドならまだしも、商売をしているとはいえ一気に押し寄せる人波に慣れているはずもない。多少の粗相があってもいいと開き直って、故人へ、弔問に来てくださる方へ、喪主を支えてくださる方への感謝を表明するのが葬儀だ、そう考え直したら心地よい疲れとなって自分にかえってきた。

 芸能人の葬儀がワイドショーの一角を占める理由も何となくわかった。

 葬儀は精神世界のエンターテインメントだ。喜怒哀楽がそこにある。

KENJI

2006-03-14

苦楽同源

 祖父永眠。享年86歳。

 11月の誕生日に「あと30年」と息巻いていたが、かなわなかった。「腹が痛い」と病院へ行ったのが2月17日。そのまま検査入院で様子をみたが高熱が続き、下血、無呼吸とみるみる衰えていった。今思えば痛みを和らげるためだったのかもしれない。入院前夜まで酒を欠かさなかった。頑強な体力を自負していたのを思うと胸がつぶれそうになる。思い出を書けばきりがない。残念だけど、悲しみにばかりひたっていられない。苦楽も悲喜も同源だもの。さっさと仕事片づけて戻るぞー!

 …というわけで、ブログは当面の間お休みさせていただきます。来週には元どおりのペースでアップしていきたいと思います。

KENJI

河原田ライブカメラ

BBっといー東北