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実は僕もdabadabaxさんの花火写真に感動して試みた。三脚がないので、電柱にカメラを押し付けてみたがうまく撮れない。構図を変えて撮っているうち、目前の二人がいい雰囲気になってきた。よしこれでいこうとフラッシュをばんばん焚いたら、後ろの気配に気づかれて「あんだ何やってんの」と振り向かれる。同級生だったから良かったものの、一歩間違えば探偵か市原悦子だ。
それはともかく、祭りは参加してなんぼ。踊りや太鼓に参加するのもよし、警備だって関わりあい方のひとつだろうし、それらが一つにまとまっている感覚が気分を高揚させるのかもしれない。僕は餅焼きだけだったが、気仙沼とつながった感を十分満喫できた。これが「はまらいんや踊り」だったら、もっとそんな気分になるんだろうなあ。
んで、来年はおしょすがんねではまってみっぺが。
KENJI
夏に餅が売れるのか。居酒屋せいこさんよ戦略ミスではござらぬかと内心思いつつ店先で焼いていた。どうやら餅は正月以来ご無沙汰だろうから、珍しがられるのではないかとの読みがあったようだ。焦げた醤油の香りに誘われて、それなりに売れるが飛ぶようにではない。噂に聞いた「つくりたてられないほど」の忙しさもなく、のんびりと焼く。でも少しは売れてほしいので、パレードにあわせて醤油を焦がして、扇風機で香りを送っていた。
ところが隊列に強敵がいた。ガチャピン色のTシャツを着た市職員が踊る脇で、餅が振る舞われていたのだ。しかも無料で。惜しみなく袋から取り出し、観客も喜んで受け取っている。ひぃぃ、これじゃ商売あがったりだ。このままじゃ店先で餅を焼く奇特なおんちゃんで終わってしまうではないか。意表をつく強敵に、開始1時間半にしてあきらめムードが漂う。こうなったらペースダウンさせて余るのを覚悟した。
それから1時間後、出張販売先から催促の電話がきた。どうしたことかパレードが過ぎたら売れ行きが止まらないらしい。焼いても焼いても催促がやってくる。とはいえホットプレートを増やしたらブレーカーが落ちてしまう。ひぃぃ、今度は作りたてられないじゃないか。で結局勢いは止まらず、予定より早く完売してしまった。
状況を考えるに、たぶん振る舞い餅が潜在需要を刺激したのだと思う。
商売敵、実は味方だったのかも。
KENJI
当店など、被災した内湾地区の国登録文化財は次の団体・企業のご支援で応急修理が進められています。世界各地からのご支援に深く感謝申し上げます。
文化財保護・芸術研究助成財団
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