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先日見つけた『本吉郡気仙沼より難船ニテ国々被流る事』の古文書を時系列順にまとめてみた。詳しくはこちら。古文書はむかし字でほとんど分からない。解説は何となく分かってどんどん引き込まれる。漂着者がいかに手厚く保護されていたか分かって涙が出そうになった。
(1)帰還のための代替船を手配した
(2)積荷の売却に協力した
(3)大坂(大阪)までの滞在・渡航費用をすべて負担した
これらはすべて琉球国と薩摩藩が分担している。病人には薬を与えた。死者には葬儀をほどこした。御番所向けの顛末書だから、役人に配慮した文面とはいえお礼の気持ちが十分伝わってくる。人の道はいつの時代も変わらないと思った。
最後、気仙沼を出発してから1年5ヵ月後にご当地へ帰着したとある。「ご当地」が気仙沼か分からない。鰹節や椎茸など、積荷の種類から見てたぶん気仙沼船籍だと思うが、さらに調べてみようと思う。文政六年、亀吉、琉球で没すと記されている過去帳が見つかるといいのだが。
KENJI
『本吉郡気仙沼より難船ニテ国々被流る事』(PDF:97KB)
当店など、被災した内湾地区の国登録文化財は次の団体・企業のご支援で応急修理が進められています。世界各地からのご支援に深く感謝申し上げます。
文化財保護・芸術研究助成財団
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