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アパラチア山脈は老齢期の山脈らしいおだやかな風景が連なる。カナダ・ラブラドール地方からアラバマ州まで続く山脈のうち、メーン州からジョージア州までの全長3500キロを尾根づたいにトレッキングできるアパラチアン・トレイルがある。昨秋TBS世界ふしぎ発見でも紹介されたようで、半年かけて一気に走破する人もいれば、20年かけて休日の度に少しずつ歩く人もいるという。この山脈の麓にウィリーさんの窯がある。
ウィリーさんに「ケンプトンで何がしたいですか?」と聞かれ、僕は即座に歩きたいと答えた。そこで近くのピナクルまで連れていってもらった。山の名前はなくて、頂上を意味するピナクル(pinnacle)が呼称として使われる位の無名の山だ。標高は500mくらい、約2kmの道。麓から山頂を見上げたら展望台らしきものが見えるから、こりゃ楽勝だろうと高をくくっていたら大間違い。けもの道をかき分け、5合目まではなだらかな山道で、次第に勾配がきつくなって9合目からは岩山だった。麓で見た展望台は人工物ではなかった。
2歳半の娘を背負って、ウィリーさんは岩山をヒョイヒョイと登っていく。ずいぶん慣れたものだなあと思っていたら、元旦に必ず家族で登るそうだ。
「9年前、僕とシリアはこの場所で結婚の約束をしました。」
「それってプロポーズでしょ?」
聞き返した僕はとても野暮である。二人とも照れていたが幸せそうだった。頂上で告白を決意したウィリーさんは、その時に限って道に迷い二人で彷徨ったとか、結婚パーティーを頂上で開こうと本気で考えたが死人が出るかもしれないから麓でやったとか、空の色とマッチしてとても清清しい気分になった。
「ピナクルは僕の家族にとっての神社です。」
ウィリーさん、粋なこと言うねえ。
KENJI
取引先の社長がシティコープに行って、そのあと不動産物件も探すというので物見遊山でついていった。シティコープの本社ビルは911テロ以来、次の標的になるのではとの噂でIDチェックが非常に厳しい。入口前には車が横付けされないようコンクリートの衝立がある。車による爆弾テロを防ぐためらしい。で、こういう時に限ってパスポートを忘れ、何とか顔写真付のクレジットカードで勘弁してもらって担当のフロアへ。通されたのは個人資産300万ドル以上の富裕層向けのフロア。んまあ、調度品が全然違うじゃないの。「お客様、コーヒーに砂糖は入れますか、ミルクは何を入れますか。」なんてホテルの給仕係みたいなボーイが聞いてくる。ミルクは何をと言われても…クリープかフレッシュしか知らない。頼めば山羊の乳でも出てくるのか、なんて想像していたら僕の注文待ちだったのでブラックにした。何を話していたのかよく覚えていない。
次に物件探しである。アメリカの大都市部は土地バブルで、マンハッタンの土地は年15%ずつ上昇し、過熱気味と言われ続けながら7年で倍になった。
写真は国連ビルの向かいにあるトランプワールドタワー。90階建てでヤンキースの松井選手やジータ選手が入居している。確か911の後にできた建物で、西側の空中権を買い取ったので隣接地に高層ビルはつくられない。天井高は3m。最上階は30億円とか、そんな値段がついていたはずだ。昨秋タイムワーナービルが出来るまでマンハッタン一の富の象徴だったという。僕がのぞかせてもらったのは、日本人夫婦が住む35階の部屋。まだ住んでいるので撮れなかったが、角松敏生のCDがあったから多分40代前半くらいの人たちなのだろう。余計な家具は置いていない。前面ガラス張りの窓からはクライスラービルとエンパイアステートが見える。「マンハッタンのセレブな生活」なんて特集があったら出てきそうな感じだ。もちろん僕が買うわけではないが、世の中にはこういうリッチな世界もあるのだなと目の当たりにした。
KENJI
晩秋のような初冬のような、わりと暖かかったので再び大川・館山取水場に鳥を探しに行っったところ、いました、いました。抜き足差し足で近づいたのに、白さぎでしょうか飛んで対岸へ。手前にいるのは羽の先のほうが灰色がかっている鳥ですが、名前は分かりません。カルガモの親子らしき鳥も水面をすいすい泳いで気持ちよさそうでした。
2枚目は取水場から少し下ったところにとても綺麗な鳥がいました。正式名称は何というのでしょうか。川面がキラキラしてさらにきらびやかさが増しているようです。鳥を撮るって改めて難しいと感じました。近づけば警戒して飛んでいくし、遠いともっと倍率の高い望遠が欲しくなるし、、、。
そうだ!草や木に擬態できないかなぁ。迷彩服でも着て息を潜んでやってみましょうか。
seiko
さて。先日のレインボーブリッジ徒歩散策から橋梁建造物のとりこになってしまい、本日はハドソン川に架かるジョージワシントンブリッジを渡った。マンハッタンの北、178丁目とニュージャージー州フォートリーを結び、自転車でも通行できる。撮影禁止とは知らず、咎められる前の1枚しかない。左下の詰め所からおばちゃんが出てきて何か言ってるが車の騒音でよく分からない。困ったヤツだ、みたいなポーズを取ったので近くへ寄ったらそうだった。
それにしてもなぜ撮影禁止なんだろう、最初はテロ対策かと思ったが渡っていくうちになんとなく察した。歩道が狭く、柵が低いのである。狭いといっても幅2メートルはあるが、自転車も通っているから途中で記念撮影なんぞしたら妨げになる。しかも柵は胸までの高さしかない。自転車と人が衝突したら、乗ってる人は65メートル下の川に投げ出されそうだ。防護フェンスでもつければいいのにと考えてしまうが、予算がないのか、景観維持のためなのかは分からない。過剰な保護はしないという、いかにもアメリカらしいつくりだった。
しかも塗装はされているものの、ワイヤーは剥き出しになっていて歩道から触れる。握ってみると負荷がかかっているような気がして吊り橋気分が倍増する。年間約1億840万台の通行量は世界で最も多く、よくまあこんな細いワイヤーで支えてるもんだなと感心した。これだけの通行量があるとワイヤーの老朽化も激しく、常にワイヤーを張り替えているそうで、僕が渡った時も北側のワイヤーの工事をしていた。
KENJI
当店など、被災した内湾地区の国登録文化財は次の団体・企業のご支援で応急修理が進められています。世界各地からのご支援に深く感謝申し上げます。
文化財保護・芸術研究助成財団
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気仙沼風待ち通信 2013年2月号(PDF) |
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