気仙沼は坂の多い町だ。リアス式で山が海まで迫っているから平地が少なく、斜面を切り開いて家を建てる。例に漏れずフミヒデ・セイコの自宅も港を一望できる丘の上にある。ビルでいうと7階相当の高さだろう。大安の日曜日には大漁旗をたなびかせた遠洋マグロ船が軍艦マーチと汽笛を威勢良く鳴らしながら出航するのが見え、秋になるとサンマ船のサーチライトが我が家を照らす。 この自宅もまた店舗と同じ昭和5年に建てられたもので、当時車社会の到来を予想できるはずもなく、公道から自宅にたどり着くまでは幅員1.5メートルの自家製の坂道だ。もちろん車など通れるはずもない。箱根登山鉄道のようにスイッチバックしながら登っていくのだ。 そんな不便な場所なのに週末になるとフミヒデの友人が酒と肴を背負ってやってくる。それをセイコが料理する。セイコは栄養士だったので、自ら「居酒屋せいこ」と呼んで楽しみながら振舞っている。 旬の食材をおいしく、楽しく、これが鉄則だ。春はタラの芽などの山菜てんぷら、冬はかき鍋やきりたんぽ鍋を囲んで談笑する。リアス式海岸の気仙沼は海の幸も山の幸も手が届く範囲にあるので、食材には事欠かないのだ。 絵/山下清「浜見山からみた気仙沼湾」(昭和43年) |